1月30日父の葬儀を執り行いました。
享年78歳。現在の日本人男性の平均寿命と同じ年齢だった。
若くして糖尿病を患い、61歳で心筋梗塞を発症し、これまで何度も救急車のお世話になった。三途の川に最も近づいたのでは、2016年車の運転中に心不全を起こし、対向車と正面衝突した時だった。3度の心肺停止と人工呼吸でなんとか命を取り留め、奇跡的に復活した。それから5年が過ぎ、この5年間は貰ったような命だったが、決して楽な5年間ではなかったようだ。
年を重ねるにつれ、老いていく父の姿を私は直視することができなかった。
私は次男として生を授かり、
結婚を機に実家からは離れて暮らした。両親は兄夫婦と共に住んでおり、新家の私は親の老いに対しては無頓着だった。それでも確実に時計の針は動いていた。両親の老いを見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。
さて、父がどんな人間でどんな男でどんな父親だったかと言うと、
お金のことに関してはケチで、よくティッシュの使い方や水道やシャワーの出し方を注意された。几帳面な部分もあれば、いらないものをいつまでも貯めるため、残された人はその片付けに大変な目に合っている。お酒やタバコの嗜好品は全くやらず、ギャンブルもしない堅い人間だった。大好物はあんこやおはぎ、かりんとうなどの甘いもの。そのせいもあって糖尿病を患っていた。こんな人間になったのは幼少期の環境の影響だろう。
父は昔の話を自分からはしない人だった。父は5人兄弟と次男として貧しい家で育った。食べ物は取り合いとなるため、早食いが身に付いたという。嫁いだ母から聞いた話だ。食材を買うお金もなく、嫁いだ母は食材がない状況でご飯を作ることに苦労したそうだ。今では考えられない状況に全くリアル感がない。ただ、父の人間性はこの話からは伺うことができた。
そんな父にも自分と同じ男としての部分があるのを確認できたのは、なぜか安心ができた。
父親として初めて凄さを感じたのは、私が6・7歳の頃の出来事だった。当時はブラジルに住んでおり、家族で川に釣りに行くことが多かった。ブラジルのは川は日本の川と違って、大自然の中の川で水深は深く、流れも強く、滝が要所要所にある。ある日、釣りをしていると兄は川岸の木の根元にある枝を踏んだところ、枝が折れ兄は川に落ちた。次の瞬間、父は川に飛び込んでいた。すぐさま兄を捕まえ、兄を抱えながら戻ってきた。どのように戻ったのかは記憶にない。私はただただ、目の前で起きた出来事に恐怖を感じていた。なんとか無事に助かった二人だったが、これ以来、このような川には行った記憶がない。自分の身を投げ打ってでも我が子を助けた父の姿は最高にかっこよかった。
そんな父も今は骨だけとなり、小さな壷に閉じ込められてしまった。
死とは何か。答えの出ないこの疑問の答えを私は求めているのかもしれない。
一つわかったのはそのために宗教が存在しているということだ。宗教は死への不安を和らげてくれる唯一の存在なのかもしれない。