葬儀を考える | これでいいのか!世の中に突っ込みをいれよう

葬儀を考える

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180605-00223580-toyo-bus_all&p=1

松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった上司と部下の「常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。第2回は「葬儀にノコノコ出掛けてはならない」。

 およそ葬儀というものにはノコノコ出掛けるものではない。故人、家族、親族と日頃から親密な付き合いもないのに、義務感だけで出掛ける。愚かとしか言いようがない。

 70歳も過ぎると、葬儀の案内、連絡がたびたびくるようになる。よほどの葬儀には出ることになろうが、そうでない葬儀が多すぎる。たいていの人が、葬儀という場には似つかわしくない“信じられない場面”に出くわすのではないか。

本来、葬儀とは、亡くなった人の冥福を祈り、また、生前の交誼に感謝しつつ、故人の徳をしのぶためのものだ。心は沈み、重くなるのも当然。

 私自身もつい先日、ある親しい友人の葬儀に、寂しさを感じつつ静かに参列した。すると関係者の一人が声をかけてきたので、こちらはお悔やみの気持ちを言うと、相手は普段と変わらない、笑顔、大声で話をし、「どうぞ、こちらにおいでください」などと言う。

■葬儀は社交場? 宴会場? 

 彼だけではない。参列者の多くは、顔見知りを見つけては、おしゃべり。片隅の喫煙所では、紫煙を燻(くゆ)らせながら、男も女もこの場と関係ない話に花を咲かせている。誰も彼も、悲しげには見えない。あえて意地の悪い言い方をすれば、まるで知人が亡くなったのを喜んでいるような感じ。会葬を終えた後はまして、祭りのようなにぎわいである。

 このようなことは一度や二度ではない。むしろ、たいていの場合がそうだ。葬儀は一つの社交場なのか。宴会場なのか。ゴルフの約束をしている人たちもいる。仕事の話をしている人もいる。

 いったい、なんのために葬儀に来たのかと疑いの心さえ芽生えてくる。偲ぶ気持ちもないならば、声をかけられたからといってノコノコ来るな、ということである。

葬儀そのものについても、一言申し上げておきたい。むやみに大規模に、知り合いに一斉に声をかけるような葬儀は、時代に取り残されておりませんか、ということだ。だいたい、冠婚葬祭のなかで、葬儀ほど厄介なことはない。

 当たり前だが、葬儀はたいてい、突然やってくる。家族も親族も大変。悲しみのなかで準備しなければならない。そのうえ、故人をしのぶ間もなく、見も知らない人たちを迎え、戸惑うばかりだろう。

 

■口ではいえないが、呼ばれたほうも迷惑

 

それだけではない。微妙な関係の相手なら葬儀に呼ばれたほうも、口にはできないが、結構、迷惑。大事な予定をキャンセルしなければならないこともある。出張先からなら、喪服の手配もしなければならないし、香典が必要なのか不要なのかも確認しなければならない。かなり手間がかかる。

 呼ばれたのだからと参列すれば、「いや、遠いところ、参列していただかなくてもよろしかったのに。わざわざ、申し訳ありません。ただ、亡くなったお知らせだけのつもりで」などと言う。

 それなら、連絡自体、後日でもいいのではないか、と思う。

 そもそも葬儀には、笑顔の人、見知らぬ人はいらない。それよりも近親者だけで行うべきだ。しめやかに、しみじみと、故人を思い偲んだほうがいい。

そのように日頃思っていたら、最近は相当有名な方でも、家族、親族だけの家族葬をするようになったと、ある葬儀社の人から聞いた。誰でも同じようなことを考えているようである。それで、葬儀場も大きなホールのようなところは不要ということで、「今、ウチは、ほとんどの部屋を数人で家族葬ができる個室にしています」とのこと。

■心のなかで故人と語り合うだけで十分

 故人をしのぶのなら葬儀に参列せずとも、自宅で心静かに、しみじみと時間をかけて故人を思い起こし、心のなかで故人と語り合い、合掌するだけで十分なのではないかと思う。そのように思い起こし、語り合うことが、故人を「蘇生」させることにもなろう。加えて、自分自身の、いよいよ生きる活力も湧いてくるというものだ。

 いずれにしても、自分自身の葬儀は可能なかぎり、小規模でしみじみと静かに行うよう、家族には申し伝えておきたい。また、なにより、他人の葬儀にもノコノコ行かないほうが、相手のためにも自分のためにもなる、ということである。

 

 

今週末 法事を終えて しみじみ葬儀について考えた

 

ほんと故人と親しい人だけが 葬式に参列すれば

良いのだと思った

 

法事も 一周忌までならわかるけど

三回忌などと 正直必要かと疑問に思う

 

どれも お寺さんとかの収入の為と思えてならない

 

普段全然会わない親族が上で

普段親しくしてる友人は 火葬場にも行けない

そんな血筋のみの待遇も いつも納得出来ない

しかも友人より 会社関係の方が上だし

故人と親しかったなんて どのレベルで判断するのか

わからないけど

 

私も この先 むやみに葬儀には行かないように

しようと この記事読んで思った

 

高校の時の親しい友人が亡くなった時は

本当に悔しかった

浮気して病気の本人苦しめてる旦那が喪主とか

内心旦那を馬頭してやりたいのに 私は火葬場にも行けずで

葬儀の建前に 心底矛盾を感じた時だった

 

仕切る葬儀屋の心ない対応

毎回 気分が悪くなる

 

葬儀のシステム ドンドン変わって欲しい

家族葬が主流になるのは 良い事だ

 

 

と言う事で 疲れ果てて寝てしまったヒデカは

更新遅くなりましてけど 一応カラオケソングアップ

 

録り直した 嵐の「つなぐ」です

この間 この曲使われた映画の方を観て

ああ そういう意味だったのねと思いまして

録り直してみましたが まあ あんま変化はなく

ほんの少し変わっただけでした(´∀`)

 

https://hidekatov3.tumblr.com/