「無」から
土曜日にNHKふるさと食のにっぽんに行って
毎年恒例の 大鍋食べてきた
これを食べると 今年も無事食べれた安堵感と
東北の震災で 食べれなかった時を思いだす
良かった 今年は 食べれた・・・・・
少しでも被災地は良くなってるんだろうか
よく言葉のイメージが定着しすぎると
その言葉のイメージから抜け切れなくなってくる
というのがあるけど
被災地や 原発被害やら マイナスイメージが
定着して 酷いとこなんかは イチゴなどの変形などあると
それまでもが 原発事故のせいにされちゃう
変形した野菜は 自然の物あったのに
ましてや 形が整った物しか販売しない方が
不自然だってのに 私らはみんな不自然を自然と
思い込んでるところがある
当時 被災した人が 一時期非難すためのとこが
実際は落ち着いても あまりにも生活が保護され過ぎて
働くとか そこを出て 苦労してまで自活する気力が
無くなってる人が多いとか
被災者を守るのは大事な事だけど
何もせず 働かずに生活出来る状況は あまり良いと言えない
自分で生活を再出発するって 大変すぎるよね
住むとこも 財産も ほぼゼロからの出発だしね
正直 自分がその立場ならと考えると
偉そうなことは言えないんだけど
最近 自分で自己啓発とか 自分の人生50年ばかりに
体験を思い返すと
ゼロから出発というのは マイナスもあるのかと
今まで勘違いしてて
確かに借金してると 数字的には マイナスというのが
存在するわけだけど
でも それはあくまでも数字の観念であって
人の生き方
人生
そこの基準では
マイナスは存在せずに
そこにあるのは
「無」
なだけなんだ
人は 生まれた時に 何も持たない
何もない「無」からは それ以下は存在しないわけで
だから 何が言いたいかと言うと
えらそーに言ってんじゃねーよ
って思うかもだけど
人は 常に 「無」からだと思えば
悲観も過去も 自分を苦しめる事はないと
思うのだわ
そう思うのだわ
だから 自分にも言いたいのだ
「無」から はじめようって