燃やされた卒業アルバム
キャラメルポップコーン作った時の写真
娘が友達の家に遊びに行くときなど ポップコーン作って
持っていかせたりする
手作りケーキなんて作れないけど こんなのでも
結構喜ばれるらしい
話は全然違うけど どうしたらこの感情を吐き出せるか
ようは今日は毒吐きか?
人の意見が正しいとしても やはり納得出来ないことがあったら
それは反対を意味するんだと思った
自分の未来の為に 自分のこれからの自分の為に
過去を捨てて生きるのは よくある話だし
その気持ちはわかってるつもりだ
自分がデザイナーから転職するときに
誰もがそれまでの実績を捨てる事に反対したし
収入なんか半分になるし 実家から出て 一人暮らしして
金はないは 仕事はないは 家族からも友達からも
離れた時期もあった
そこで追い込まれた自分の感性は極度な敏感状態で
精神的に追い込まれ悪夢を見る反面
現実では確実に 近づきたいと願ってた人達のもとへ
偶然にしては 説明できないほどの タイミングが重なるし
自分の直感で導かれた場所が 願ってた場所だったりと
追い込まれた人間が 別の感性を使い始めるのも
経験したこともあるから 過去を捨てて生きようとする人が
自分の卒業アルバムを捨てるのも それはその人の勝手だろう
しかし 自分は 卒業アルバムをわざわざ燃やす動画を
自分の仲間とも言えるような人達にリンクして見せる神経が
理解出来ない
自分は家族からも友人からも一時期離れた時に
それをわざわざ 友人に成長したいから縁を切るなんて
言う必要性はあるんだろうか
実際に 自分は家族と縁を切ってなどいない
そのぐらいの気持ちで家を出ないと 自立や成長なんて
そう簡単な覚悟じゃ実行出来ないのもわかる
しかし
自分の学校時代が良かった悪かった関係なく
燃やすことを自分が成長すると思うなんて
なんて軽薄な行動だろうと 思ってしまう
自分だって 正直卒業アルバムなんて見ないし
自分にとってそんに大事なものとも思ってなかった
でもある日 そのアルバムの存在を知った娘が
嬉しそうに見て 色んな質問をしてきた時に
このアルバムは 私のためだけの物じゃないんだな
って思った時に そのアルバムは そのまま置いておこうと
娘の為に アルバムは保存しておこうと思った
自分は親の写真が欲しいと思った時がある どんな風に
自分の親が成長したのか 知りたかった時があった
でも 戦争だったせいか 写真なんてほとんどない
それは ずっと続いた感情ではなくて ほんの一時期だった
それは なんの写真でも良いんだと思う
それこそ卒業文集なんてあったら もっと良かったと思う
そんな事を思ったせいか 私は卒業アルバムを捨てたり
ましてや 燃やすなんてありえない
卒業アルバムを燃やして 過去を消せるのか?
自分のやった過去は過去で 何を否定する必要があるんだろ
ましてや消すなんて まったくもって意味がわからない
もし 自分の子供が 大きくなってやりたい事を出来ないからって
卒業アルバムを燃やしてたら きっと自分は怒る
他にやることあるだろう!ってね
言葉での説明が難しいから 人の立ち位置が違うから
同じ説明や言葉でも まったく違った受け取り方をする
それは 当然のこと
でも 卒業アルバムを燃やしたって 何も変わらない
そんな事を広めようとする 人とは 関わりたくもないと
自分は思った