教育は4・4・4・4で!
ドラマのATARUに出てくるマスコット人形を
娘がマネて作った
こういうの本当に上手く作るな・・・・勉強嫌いだけど(笑
安倍晋三首相が、戦後教育の見直しを始める
板垣 英憲
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/f078f889ae6e2391bda062e142117ee7
◆教育委員会制度も、米国から輸入された制度である。当初は、選挙によって教育委員が選ばれていた。都道府県・市町村の教育委員会の教育委員は、議会議員と同様に地域住民による選挙で選ばれていた。
ところが、米ソ冷戦のなかで、教育委員選挙に共産党員が、競って立候補して当選してくるに及び、日本の保守政界はもとより米国が、強い危機感を抱くようになり、公選制度を改めて、「都道府県知事・市町村長」による「任命制」に変更されたのである。これは、あくまでも、安全保障上、便宜的に設けられたものであった。
これをどう変えようとしているのかは、定かではない。公選制度に戻すというのであれば、自由と民主主義の立場からは、意味がある。けれども、大阪市の橋下徹市長が打ち出した「首長直属の教育委員会制度」を目指しているとしたら、時代錯誤となる。
◆しかし、戦後教育の見直しは、1970年代から1985年代にかけて、盛んに提唱され、私は、1981年から2年間、文部記者会に所属して、「戦後教育の見直し」という言葉を記事によく書いていた。
中曽根康弘首相は、1982年11月27日に就任して、かねてから念願だった「戦後教育の見直し」に着手し、「臨時教育審議会」を設置した。だが、事務局に文部官僚が多数入り込み、中曽根康弘首相の意向をことごとく潰し、結局、戦後教育の改革の志を完全に潰してしまった。文部官僚が中曽根康弘首相に与えた「飴玉」は、社会教育の名称を変えた「生涯学習」の推進であった。「御殿女中」と言われてきた文部官僚を政治家の言いなりにするのは、簡単ではない。成蹊大学法学部卒の安倍晋三首相と学習塾「博文館」経営者上がりの下村博文文部科学相(早稲田大学教育学部卒)は、それ以前に、東大法学部出身の文部官僚に手玉に取られるのが、オチだ。「やれるものなら、やってご覧」と言いたい、
確かに!
人も世の中も 今までの事を変えようとすると
阻止する奴らが存在する
それは悪意でもなければ 後退でもなくて
その先をイメージ出来ないから 見えない先に
不安を感じるんだ
だから どんなに良い案があっても
それを受け入れず 邪魔する存在が常にある
自分の考えは
随分前にも書いたけど
20歳で大学を卒業にして欲しい
16歳で高等教育を終わらせ 18歳で成人と認める
教育は4・4・4 で大学入れると4・4・4・4
13・14・15・16
9・10・11・12
5・6・7・8
大学が17・18・19・20になるか
そして肝心なのは 受験を失くすこと
この受験ほど 私は人生の中で無駄なものと思ってる
受験をするぐらいなら 自分の課題を作って研究した方がいい
もし受験があるとしたら 今のような試験でなく
何かの研究とか 論文とか そんなのを提出するので
いいんじゃないかと思うし
どっかの国のように 学校の偏差値なんて無い方がいい
今までの義務教育が正しいとか間違ってるとかより
これからの教育をしっかり 考える時期が来たってこと
時代が代わったんですよ(・∀・)