僕を見つけてごらん
ポスター見た瞬間 爆笑しちゃったよ
展示会は見てないけど 面白そうだね^^
これ見て思い出したけど 昔 無印商品が出た頃
当時 ブランド志向の強い時代で
そこに ブランドのない 無印という 商品が出て
凄く新鮮な感じして 値段も当時の物価からは
安い方だったし 無地のノートとかが使いやすかった
でも ある日誰かが言った
無印商品ってさ~ 無印商品っていう名のブランドなんだよね~
って言われて はじめて
そっか∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
って 気がついた
それまでは なんか ブランドが氾濫する中で
オアシスのような錯覚をおこしてた自分・・・・
まだまだ 世の中に対する意識が 甘いな・・・と
思った出来事だった
いつの世も 時代の流れや常識というものがあって
その時に当たり前だった事が 少し時間が過ぎると
とっても 滑稽な事だったりして
まあ ファッションなんて 特にそうで
時代が過ぎた時に 凄く 恥ずかしい気分になったり
今でも 昔の自分の格好を思い出すと
よくあんな格好で 外を歩いてたな・・・・と
思い出しては 密かに自分だけで 恥らっている
その時に 実際 その格好は 許されたのか
それとも 回りはおかしいと思っても何も言わなかったのか
というか 誰も気にしてなかったのかもしれないのに
何故か 時々思い出しては 恥ずかしがってる自分がいる
そう思うと 今の若い子達が もうちょっとまともな格好に
した方がいいんじゃない?とか思っても
きっとその子は 何も感じないで
むしろ見られる事に 今のオシャレを楽しんでるんだろう
あ・・・・なんか 婆臭くて自分で書いてても 嫌だな・・・・
話は 境界性について
なんでもそうだけど 良いと悪いとの間に 見えない境界線が
あると思うんだけど
ファッションも カッコいいとカッコ悪いの間に
微妙な境界線あるし
何か ちょっと悪い事をしたとして
でも誰にもわからないから OKと思う範囲と
それが 度を過ぎると 犯罪になるってやつ
例えば 電車で痴漢をする 普段は真面目なサラリーマンが
毎日の通勤の中で 何気に手を 女性のお尻にあて
さも混んでる状況で仕方ない風に見せて
この痴漢は犯罪にまでならないから そいつはOKと思う
でも次に それでいい気になったサラリーマンは
お尻に手をやって なでた
それでも 犯罪にならない 捕まらない
そうやって 段々エスカレートして 女性のパンツに
手を入れて 触った
そして それは訴えられ 現行犯で逮捕された
そして 犯罪者になった男は 職場にそれが知られ
クビになり 無職になる
彼女や家族がいたとしても 呆れて見離される・・・・
というように 最初は大丈夫だったのに
何が彼の人生を狂わせたのでしょう
この境界線はどこに あると思いますか
正解は 明日! では!
なんちゃって
そんな 正解も何もないじゃない
最初から 犯罪なんですよ
その犯罪は ただ人に知られなかっただけです
今回の 8人殺傷事件で思ったけど
今は逆に 自己欺瞞というか 自分の存在を知ってもらう為に
犯罪を使い 殺人を道具にしてるんですよね
それだけ 自分に対して 世間が無関心であることが
耐えがたき屈辱だったんでしょう
世間が注目するなら 殺人すらも やってしまう
そんな人種が増えてること
それが今の社会なんだよね
境界線の壊れた人格は 後戻り出来ると思いますか?
私は NOだと 思います