ポケモンgoで
歴史のお勉強をします
第三弾
現在の京都御池中学校がある場所には、以前、法泉寺が建っていました。
法泉寺は、浄土真宗の開祖親鸞聖人が弘長2年(1262年)に90歳で入滅した後、門徒が聖人を偲んで建立したお寺です。
法泉寺が建つ前は、親鸞聖人が亡くなった善法院があり、この地は、いつしか親鸞ヶ原と呼ばれるようになっていました。
その後、法泉寺は、柳池小学校の拡張に伴い大正15年(1926年)に下総町に移転、昭和20年(1945年)に強制疎開で寺地を転々とした後、昭和23年に左京区下鴨松ノ木町に定まります。
現在、京都御池中学校の前には、「見真大師遷化之旧跡」と刻まれた石碑が立っています。
明福寺(めいふくじ)浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀仏立像
江戸前期の浄瑠璃太夫、都太夫一中(みやこだゆういっちゅう)が住職だった。詳細不明。
、“吉祥のシンボル”
嶋臺とは、松竹梅・鶴亀・尉姥などを配し、蓬莱山を象った飾りもので、祝宴の
席に置かれ幸福を招く象徴とされました。ご来場の皆さまのご発展とご幸運を
ねがわれている。
【しまだいギャラリー 沿革】
慶長13年(1608年)にただ今の地にて生糸商として創業。
江戸中期からは銘酒「嶋臺」を扱う酒問屋も兼業し、
京都屈指の豪商として昭和の大戦時まで繁栄を続けました。
現存の建物は、元治の大火後、明治16年(1883年)に再建されたもので、 かつては東は東洞院通から、西は車屋町通に及ぶ大規模なものであり、伝統的町家建築の頂点にたつものとされました。また、京都の大店商家遺構として、平成16年(2004年)に国の登録文化財の指定をうけております。
御池遺跡は, 烏丸御池附近を中心とした,南北約600メートル・東西約800メートルという広い範囲にわたって,縄文時代晩期から古墳時代にいとなまれた集落の跡。発掘調査によって弥生時代の住居跡や古墳時代の遺物などが見つかっている。ここから約700メートル北に広がる烏丸丸太町遺跡とともに,平安遷都以前からいとなまれていた集落遺跡として知られている。
平安京は,桓武天皇が延暦13(794)年に長岡京から遷都したもので,跡地は現在の京都市街地に重なっており,中京区壬生附近を中心とした,南北約5.2キロメートル・東西約4.5キロメートルの広さにわたっている。そして現在の御池通は,平安京の二条大路と三条大路の間を通っていた三条坊門小路にほぼ相当する。
この石標は,この附近が烏丸御池遺跡であり,平安京の三条坊門小路が通っていた
この石標は,この附近が烏丸御池遺跡であり,平安京の三条坊門小路が通っていた








