ポケモンgoで
歴史のお勉強をします
京都御苑から
烏丸御池までの間
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京都の風習から
【資料2】“地蔵盆用提灯”の項目で意味と様式の説明がある。以下引用。
意味…この提灯は“自灯”,“法灯”といって,一つは子供のために,一つはお地蔵様に掲げる。この二つの提灯が子供とお地蔵様との架け橋となり,願い事を叶えてくださると昔より言い伝えられてきた。
様式…一対(二つ)の提灯それぞれに,一人の子どもの姓名を書き入れる。宇治や城陽地方では“南無地蔵大菩薩”と記したものを使用し,京都市内では西陣や上賀茂地域などの一部をのぞいて,“延命地蔵大菩薩”と記したものを使用。ただし“南無地蔵大菩薩”と記したものはどのお地蔵様に掲げてもよい。
提灯の色…色は白(幕)と赤との二種類があり,本来は決まったものではないが,男の子は白(幕),女の子は赤にすることが多くなってきた。町内会によっては一種類の提灯で統一されているところもある。
【資料3】提灯に書かれた仏の名について解説している。
・天道大日如来→大日様に掲げる
・延命地蔵大菩薩→延命地蔵に掲げる
・南無→信仰しているの意

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本因坊の名

寂光寺の塔頭「本因坊」を住まいにしてた僧侶がいました。
その僧侶の名前は、日海。
囲碁の名人として、信長や秀吉の時代から名を轟かせていた人物です。

日海は、江戸幕府が開かれると、幕府の碁所に任命されます。
そうすると彼は、寺を弟子に譲り、本因坊算砂と改名して仕えました。
そして以後、本因坊の名前は世襲で受け継がれるようになりました。

世襲から選手権制へ

本因坊の名前は、世襲で受け継がれていました。
しかし、それではダメだと思った人物が現れます。
二十一世の秀哉です。
本因坊の名は、真に囲碁が強いものが名乗るべき。
そう思った秀哉は、名跡を日本棋院に譲り渡します。
そして、昭和十一年に選手権制に「本因坊戦」が誕生したのです

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京都で300年近く愛され続けているお茶屋「一保堂」さん。一級の緑茶と季節の和菓子を楽しめて、お茶の知識を得ることもできるオススメのお店です。喫茶室でゆったりとお茶を味わったり、テイクアウトを頼んで京散策に出かけたりと、自由なスタイルで京の和を堪能してみてはいかがでしょう。
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上の写真に写っているのが、井原西鶴の句が刻まれた石です。

「通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)」と刻まれています。

の写真に写っているのが、井原西鶴の句が刻まれた石です。

「通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)」と刻まれています。「通ひ路は 二條寺町 夕詠」

石碑の近くに解説が書かれていたので紹介しておきます。

上の句は、西鶴俳諧大句数の巻八に収められており、前句には「思ひと苦とをつくる絵双紙」とあり、後の句には「川原の床は小歌三味線」と記されているそうです。

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寺町御池を下がっていくと、左側にあり、大きいので目立ちます。

本能寺は景勝の地京都鴨川のほとりに法華宗の法灯を掲げ続けている。

しかし本能寺が日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山であることは以外と知られていない。

本能寺は日隆聖人を御開山と仰ぎ『法華経』の根本義と日蓮大聖人の真意を説き明かし、お題目を唱えて信じ行ず大霊場である。

日蓮大聖人の教えの真意は

『「法華経」の本門八品に説かれた上行所伝本因下種の「南無妙法蓮華経」に全身全霊を捧げ、本門のお題目を信じ唱えるほか私どもの成仏の道はない』

という教えである。

人々に「南無妙法蓮華経」を信奉させ、口に唱えさせることが日蓮大聖人の生涯の念願であった。

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