ポケモンgoで
歴史のお勉強をします
京都御苑から
烏丸御池までの間
京都の風習から
【資料2】“地蔵盆用提灯”の項目で意味と様式の説明がある。以下引用。
意味…この提灯は“自灯”,“法灯”といって,一つは子供のために,一つはお地蔵様に掲げる。この二つの提灯が子供とお地蔵様との架け橋となり,願い事を叶えてくださると昔より言い伝えられてきた。
様式…一対(二つ)の提灯それぞれに,一人の子どもの姓名を書き入れる。宇治や城陽地方では“南無地蔵大菩薩”と記したものを使用し,京都市内では西陣や上賀茂地域などの一部をのぞいて,“延命地蔵大菩薩”と記したものを使用。ただし“南無地蔵大菩薩”と記したものはどのお地蔵様に掲げてもよい。
提灯の色…色は白(幕)と赤との二種類があり,本来は決まったものではないが,男の子は白(幕),女の子は赤にすることが多くなってきた。町内会によっては一種類の提灯で統一されているところもある。
【資料3】提灯に書かれた仏の名について解説している。
・天道大日如来→大日様に掲げる
・延命地蔵大菩薩→延命地蔵に掲げる
・南無→信仰しているの意
寺町御池を下がっていくと、左側にあり、大きいので目立ちます。
【資料2】“地蔵盆用提灯”の項目で意味と様式の説明がある。以下引用。
意味…この提灯は“自灯”,“法灯”といって,一つは子供のために,一つはお地蔵様に掲げる。この二つの提灯が子供とお地蔵様との架け橋となり,願い事を叶えてくださると昔より言い伝えられてきた。
様式…一対(二つ)の提灯それぞれに,一人の子どもの姓名を書き入れる。宇治や城陽地方では“南無地蔵大菩薩”と記したものを使用し,京都市内では西陣や上賀茂地域などの一部をのぞいて,“延命地蔵大菩薩”と記したものを使用。ただし“南無地蔵大菩薩”と記したものはどのお地蔵様に掲げてもよい。
提灯の色…色は白(幕)と赤との二種類があり,本来は決まったものではないが,男の子は白(幕),女の子は赤にすることが多くなってきた。町内会によっては一種類の提灯で統一されているところもある。
【資料3】提灯に書かれた仏の名について解説している。
・天道大日如来→大日様に掲げる
・延命地蔵大菩薩→延命地蔵に掲げる
・南無→信仰しているの意
本因坊の名
寂光寺の塔頭「本因坊」を住まいにしてた僧侶がいました。
その僧侶の名前は、日海。
囲碁の名人として、信長や秀吉の時代から名を轟かせていた人物です。
日海は、江戸幕府が開かれると、幕府の碁所に任命されます。
そうすると彼は、寺を弟子に譲り、本因坊算砂と改名して仕えました。
そして以後、本因坊の名前は世襲で受け継がれるようになりました。
世襲から選手権制へ
本因坊の名前は、世襲で受け継がれていました。
しかし、それではダメだと思った人物が現れます。
二十一世の秀哉です。
本因坊の名は、真に囲碁が強いものが名乗るべき。
そう思った秀哉は、名跡を日本棋院に譲り渡します。
そして、昭和十一年に選手権制に「本因坊戦」が誕生したのです
上の写真に写っているのが、井原西鶴の句が刻まれた石です。
「通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)」と刻まれています。
の写真に写っているのが、井原西鶴の句が刻まれた石です。
「通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)」と刻まれています。「通ひ路は 二條寺町 夕詠」
石碑の近くに解説が書かれていたので紹介しておきます。
上の句は、西鶴俳諧大句数の巻八に収められており、前句には「思ひと苦とをつくる絵双紙」とあり、後の句には「川原の床は小歌三味線」と記されているそうです。
寺町御池を下がっていくと、左側にあり、大きいので目立ちます。









