『燃えた、打った、走った!』

 (長嶋茂雄 中央公論新社2020.9.25

 

 長嶋の自伝である。

 長嶋の自伝書籍はジイの知るところでは3冊ある。

  • 『野球は人生そのものだ』(2009年、日本経済新聞出版社刊/後に中公文庫)
  • 『燃えた、打った、走った!』(2020年に中央公論新社より出版(復刊版))
  • 『野球へのラブレター』(2010年、文春新書)

 この中でも、日経新聞の「私の履歴書」に連載されたものに大幅に加筆して出版された『野球は人生そのものだ』が実質的な自伝とされているようだ。

 

 これらの自伝の中のひとつ『燃えた、打った、走った!』である。

 

    

 

 初版発行日からすると、最も新しいものになる。

 巻末に北野武氏による解説がある。

 

 ジイは今年3月に日本橋の高島屋で開催された「長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号『3』」を見に行ったが、この本にはその追悼展に使われたサード長嶋がゴロをさばいて1塁に送球する写真(読売新聞社提供)の掲載がある。

 

   (読売新聞社提供)

       なんとも美しい写真である。

 

 1968.9.16 後楽園球場 巨人×中日戦で、遠藤忠カメラマンが撮った、あの有名な ❝ 三振のシーン ❞ に負けじとも劣らぬ素晴らしい写真である。

 美しくも《 華麗な守備 》を見事に表現している。

 

 それでは何度も紹介した立教大学の ❝ 鬼の砂押 ❞ の強烈かつ、過酷な練習を、長嶋茂雄本人はどう感じていたのか、巻末にある ❝ たけちゃん ❞ の解説をピックアップして紹介したい。

 

 

 🥎 『燃えた、打った、走った!』 🥎 

 
 

    

 

 ~ 第5章 暗夜の殺人ノック ~

 

  夜間練習

 

 翌S29年春。

 ぼくは立大に入った。

 経済学部経営学科のルーキーとして、いそいそと入学式のセレモニーに出席した。

 しばらくは大学生の気分を味わせてもらえるのかな、とのんびり構えていた。それがとんでもないあやまりだというのを、セレモニーが終わったとたん、思い知らされた。

 

 新人の親方である宗野さんが、

 

    「集合」

 

 という号令をかけてきたのである。

 

 ウンもスンもない。学生服をユニホームに着替えて、みんな口々に、

 「きびしいなあ」

 「初日から練習か……」

 ブツブツいいながら集まった。

 

 合宿から東長崎のグランドまでは駆足だ。

 

 「二十分でいけ!」

 

 宗野さんは、ぼくたちにビシリといった。

 

 夕暮れまでの練習で、へとへとになって合宿へたどりつくと、メシを詰めこむひまもなく、また宗野さんの声だ。

 「長嶋、いるか?」

 「はいっ」

 「よしっ、オレといっしょにこい」

 

 「……」

 

 「これから夜間練習をやる。こいっ!」

 

 なんということか、と大いそぎでメシをかきこんでまたランニングだ。

 

 もうグランドは暗い。

 

 「そこへ立て」

 

 宗野さんは、ぼくをサードの守備位置につかせて、

 

 「……お前は基本がどうもできとらん。今からオレが教えてやる。いいな?」

 

 「はいっ!」

 

 「よし。よく聞くんだ。野球はまず声をだすことが基本になる。お互いに声をだしあうことから始まるんだ。いいか、ハラの底から声をだしてみろ」

 

 「はいっ!」

 

 ぼくは、下腹に力を入れて思いきりどなった。

 

 「いこうぜ!」

 

 「元気だそうぜ!」

 延々一時間近く、そうやってどなり続けた。しまいには声が()れて、ノドが痛くなってきた。

 「よし、それまで」

 やっとのことでストップをかけてくれたが、これで無事釈放かと思ったら大まちがい。

 日がとっぷり暮れて、ろくにボールも見えない暗闇のなかで、マンツーマンのノックだ。

 

 その夜は、精も根もつきはてて合宿に帰ってきた。

 

 二日目の、同じような練習が続いた。

 

 三日目――――。

 ついに()てない選手がでた。よろめきながら柱にすがってたちあがり、それから練習にいくのだった。

 

 

 長い長い一週間がたったときだった。外は雨がふっていた。

 ・・・・・

 そこへ突然、呼びだしがかかった。

 

 新人監督の宗野さんからではなく、今度はあの ❝ 鬼の砂押 ❞ からの呼びだしである。

 

 新人は全員集合だった。

 

 駆け足でグランドへいくと、もう腕まくりした砂押さんが待ちかまえていた。

 

 「これから、タマなしノックをやる」

 

 緊張でコチコチになっているぼくたちをなめまわして、砂押さんはしわがれ声でいった。

 

 タマなしノック―――。

 

 一種のシャドー・プレーである。砂押さんがノックバットを構える。振る。すると、実際にはボールが飛んでこないのに、さっと左右どちらかえ体を移動させ、一塁へ送球するふりをするのだ。

 

 ボールがこないのだから、エラーするはずはない。しかし、ちょっとでも気を抜くと、砂押さんのしわがれ声が容赦なくとんでくるのだった。

 

 雨のなか、このタマなしノックが一時間たっぷりと続いた。

 やっと終わったようなので、みんな帽子をとって、

 

 「ありがとうございました」

 

 と、砂押さんにむかっておじぎした。❝ 鬼の砂押 ❞ というけれど、なんだこの程度だったのか、というホッとしたような残念なような空気が流れた。

 

 ところが、砂押さんは、雨に濡れそぼった顔をニヤッと笑わせ、

 

 「馬鹿!あわてるな。練習はこれからだ」

   といった。

 

 今度は、キャッチボールである。

 

 それもふつうのとはちがう。すでに日はとっぷりと暮れていて、お互いの顔がみえないほどになっていた。

 宗野さんが重そうな段ボールの箱をドサッと置いた。中には白い石灰が入っている。

 

 「みんな、ボールにこれを塗れ」

 

 「はいっ」

 

 われがちに石灰をつかみ、ボールになすりつけた。

 

 「はじめろ!」

 

 砂押さんの号令一下、一斉にキャッチボールを始めた。

 

 ところが雨に濡れているとはいえすべすべした硬式ボールになすりつけただけの石灰は、五、六回投げると

 たちまちはげてしまう。そうなると、ボールがどこへくるか、見当がつかなくなる。

 

 みんな暗がりのなかで目をこらし、中腰でそっと投げ合いだした。そうでもしなければ、ガツンと顔にあたりそうだからである。

 

 とたんに、闇のなかを砂押さんのしわがれ声が爆発した。

 

 「こらっ!真剣にやらんか!」

 

 手にしたノック バットで、そうどなりつけながらピシッと尻を引っぱたく。

 ぼくたちは震えあがった。

 

 👹   鬼の砂押 👹

 

 翌日――――。

 今度は、このぼくだけ名指しで砂押さんから呼び出しがかかった。

 駆け足で急ぎながら、ぼくは夜のとばりがおり始めた空を見上げた。

 今夜も月はない。

 

 「きたか」

 

 砂押さんは、ノックバットをしごいて、ニヤリと歯をむきだした。また、例のタマなしノックか、と思って構えていると、

 「今日は ❝ 実弾 ❞ でいくぞ」

 という。

 

 「……しかし、この暗さだ。長嶋、とくにきょうは石灰を塗ってもいいぞ」

 「はいっ!」

 

 いそいそとボールに石灰を塗りつけ、ホームプレートのところに並べた。

 「よし。打つから守れ!」

 「はいっ!」

 

 サードの守備位置へとんでいったが、暗くて砂押さんのユニホームが白いぼんやりした形にしか見えない。立大の練習用ユニホームはそのころ白一色。胸のマークもなければ、イニシャルもなかった。

 

 その暗い闇の底から、

 「いくぞ!」

 声とともに強いゴロがとんでくるのだ。

 

 石灰を塗っているから、最初の一、二本はまだいい。そのうち、バットに当たるたびにパッと夜目にも白く石灰の粉が飛び散り、グランドの砂を噛んで急に見えなくなってしまう。二十本、三十……。

 

 ボールはもうほとんど見えない。

 

 反射的にグローブが顔を覆いそうなるのをぐっとこらえて、ぼくは必死になって叫んだ。

 

 「よし、こい、ノッカー!」

 

 暗闇のむこうで、砂押さんがうなずいたのかどうかわからない。頼りはノックバットが激しくボールを引っぱたくときの音と、ゴロがこっちにむかってくる一瞬の気配だけだった。

 

 情け容赦のない強い打球が、ぼくの体ぎりぎりをかすめて何本かうしろへ抜けていった。

 

 「馬鹿!ヘタクソ! グローブに頼るな」

 

 「はいっ!」

 

 「いいか、長嶋、ボールをグローブで捕ると思うな。心でとれ、心で……」

 

 もう百本はとっただろうか。しかしいっこうに砂押さんはやめる気配をみせない。

 さらに二十本、三十本……と激しいノックが浴びせられた。

 もう、声もでない。

 

 すると、砂押さんが例のしわがれ声でどなりつけた。

 

 「まだお前はグローブに頼っている。そんなもの捨ててしまえ!素手だ。素手でとれ!」

 

 軟式のボールなら素手でもとれる。しかし、あのかたい硬球を……と一瞬ひるんだときに、

 「まだ、グローブを持っているのか!」と

 

 砂押さんがどなった。

 

 「よし!」

 

 ぼくはグローブをかなぐり捨て、素手でノックの打球にむかっていった。

 

 その翌日。

 昼間の練習をこなしてようやく合宿に戻り、メシを食い終わるか終わらないうちに、宗野さんがきた。

 

 「監督が読んでるぞ。すぐいけ」

 「どこですか?」

 「監督のお宅だ。三十分後にこい、という電話だ」

 「はいっ」

 

 ぼくはチラッと合宿の柱時計を見た。三十分……。池袋にある砂押さんの自宅は、この合宿から三キロ以上離れている。急ぎ足で歩いていってもたっぷり五十分はかかる。自転車でいっても十二、三分である。それを三十分でこい、という。

 

 お茶も飲まずに飛び出した。バットを片手ににぎりしめ、それこそ高田馬場へ助太刀にいく堀部安兵衛の心境で、砂押さんの家まですっとばした。

 

 砂押さんの家は、すぐそばの二百坪ほどの空き地に面していた。その空き地が、ぼくの特訓の場だった。

 いってみると、その空き地の前で砂押さんが腕時計をにらみつけて待ちかまえている。いつ石灰を引いたのか、地面にはホームプレートとボックスが白々と浮かびあがっていた。

 

 「よし長嶋。お前のスイングが見たくて呼んだ。すぐやっていみろ」

 

 「ここで、ですか?」

 

 「そうだ」

 

 合宿からぶらさげてきたバットを構えようとすると、砂押さんは押しとどめて、

 

 「これを使え」

 と、手にしていた白塗りのバットを差しだした。

 

 ふつうのヤツの倍近くも重いマスコット・バットである。

 

 ペンキで立教のチームカラーを塗ってあるのだが、砂押さんの手にしているのは練習用のマスコット・バットらしかった。

 

 ズシリと手にこたえる重さだった。

 

 しかし、そのバットを振りながら、ぼくは奇妙な感情にとらわれだした。

 ……ぼくは砂押さんに見こまれている。

 

 

 《 神宮球場を夢見て 》

 

 シゴキ、と一口にいうが、選手に対して愛情のないシゴキは、単なるイビリでしかない。砂押さんのハード・トレーニングはたしか過酷だったが、しかし、決して選手に対する意味のないイビリではなかった。

 

 砂押さんには、強烈な信念があり、選手に対する激しい愛があった。

 

 砂押さんは、ノックの名人だった。

 

 練習が終わると。ポジションごとにノックの雨をあびせるのだが、体のこなしのいい本屋敷やショートの高橋はだいたい十本がノルマ、ぼくだけ五十本、百本ということが多かった。

 

 スローイングはまあまあとしても、下半身がまだできていなかったせいか、相変わらず腰高の守備だった。砂押さんは、そんなぼくを鍛えあげるために、特別にぼくをしぼった。

 

 十本のノルマ、といっても、ただ捕球するだけではダメだった。流れるようにスムーズに処理したうえ、一塁送球も正確無比でなければ ❝ 1本 ❞ にとってもらえなかった。

 

 砂押さんのノックは、ほとんど芸術的といってよかった。

 

  (中略)

 

 池袋の砂押道場での素振りも、相変わらず続いていた。

 

 例の空き地につくられてにわかづくりのボックスは、すっかりぼくの専用になった。砂押さんは、石灰でホームプレートに対して直角に新しく三本の線をつけくわえた。

 

 「うしろの二本は、お前が構えたときのスタンスだ。前の一本はなんだかわかるかな?」

 「はい。ステップしたときの左足の位置ですね」

 「そうだ。振ってみろ」

 

  ❝ 鬼の砂押 ❞ といわれるけど、ぼくはこの人のひたむきさ、熱っぽさにしだいにひかれていった。なんの打算もない。一つのことに子供のように夢中で打ちこんでいる人だった。

 

 空き地の素振りでも、砂押さんが頭の中で描いているイメージに一致しなければ、

 「よし!」

 というお許しはでなかった。ときには一時間も振り続けたことがある。

 

 終わると、奥さんがお茶を入れてくれた。まんじゅうやお菓子も出してくれる。へとへとになったあとのまんじゅうのうまいこと。今でもまんじゅうを見るとありありと、あのときの凄まじい素振りを思い出す。

 

 しかし、あまりにも練習に夢中になりすぎて、とうとうぼくの腰が曲がらなくなった。汚い話だが、トイレにいってもしゃがめないため、コントロール(?)に注意しながら半分立ったまま、❝ 放出 ❞ したものだった。

 

 杉浦や本屋敷たちも、そうだった。

 

 みんなげっそりとやせ、目ばかりがギョロギョロさせていた。それでも、みんな夢があった。

 もうしばらくすると、春のリーグ戦が始まり、つづいて新人リーグ戦がある。神宮の檜舞台を踏む日を胸にえがいて、ぼくたちは歯をくいしばってがんばった。

 

 以上、鬼と呼ばれた砂押監督の指導の一部を紹介した。

 しかし、あまりの厳しい指導、体罰などによって、逃げ出す部員が出たりで、ついに上級生部員による監督排斥運動が起きた。その運動により砂押監督は退任を余儀なくされた。

 

 しかし、文中にある長嶋の言葉に

❝ 鬼の砂押 ❞ といわれるけど、ぼくはこの人のひたむきさ、熱っぽさにしだいにひかれていった。なんの打算もない。一つのことに子供のように夢中で打ちこんでいる人だった」とあるように、長嶋は砂押監督の真髄を見抜いている。

 

 わが凡人でも、夢中になっているとき、楽しさのあまりキズの痛さを忘れてた、ということがある。

 ましてやプロを夢み、日本の、あるいは世界の頂点を目指すものにとって ❝ 好き ❞ を超え、求めるものの高さゆえに、過酷ともいえる体験は高次元への光とみるか暗黒の闇と受けとるか、一流と、超一流の違いとなって現れるのではという気もする。

 

             

 

       最後に ❝ たけちゃん ❞ の寄稿をすこし紹介しよう。

 

 🥎 長嶋茂雄さんのこと 🥎 ・・・・・北野 武

 

  (前略) 

 

 俺も芸人になって長嶋さんとご一緒する機会を得た。ちょうど仕事を長く休んでいた時にゴルフに長嶋さんが誘ってくれた。憧れの人とのゴルフだから緊張して夜も眠れなかった。だけど、朝、長嶋さんに会うと「たけしさん、誰とゴルフですか」なんて約束を忘れている。これで寝不足も吹っ飛んだよね。

 

 その後も凄かった。ホールを回る前にトイレに行ったの。長嶋さんの隣のやつが「あっ!ミスターだ」って興奮してオシッコをかけちゃった。長嶋さんは文句一つ言わずに手洗いの蛇口を捻って水を出し、タオルを取りに行って、もう一つの蛇口を捻ると手を洗って拭いた。で、最初の蛇口の水でズボンを洗う。その一連の動きが野球と同じで華麗なの。

 ゴルフも五十センチのパットは外しても、十メートルのパットは決める。何をやっても憧れの長嶋選手でしかなかったよ。

 

 ファンに好きな四字熟語を色紙に求められて「長嶋茂雄」と書いた長嶋さん。

 

不撓(ふとう)不屈(ふくつ)や切磋琢磨と同じ、名前だけで意味を成す、不世出の野球スターだと思う。野球が庶民を熱狂させた時代の「生きた(あかし)」なんだ。 

 

           

 

                            

 

 これから、長嶋はどう語り継がれていくのだろうか。

 

 ❝ 不世出のスター ❞ とはその通りだろう。

 

 昭和の戦後の復興要請にすべからく応えてこの世を去った。

 最強の栄養ドリンクと副作用のない最高の ❝ 元気薬 ❞ として日本の再生・発展に大きく寄与。

 平成、令和にその余韻を残し、脳梗塞で倒れてからも、多くの患者の力になればと自らのリハビリ姿で元気づけた。

 そして、❝ 燃える男 ❞ そのままに、燃えて燃えて燃えきり、最後の一滴まで使い切ったとろで天に召された。

 

 たしかに ❝  不世出のスター  ❞ であった。