2025.6.4スポーツ報知は長嶋茂雄をどう伝えたか!!
106回のONアベックホームランの始まりは、あの有名な天覧試合からはじまった。
ワンちゃんのコメントである。
◆ 不思議な魅力
「こうなってみて、改めて存在の大きさを思い知らされましたね」
こみ上げる悲しみや寂しさを振り払うかのように、王さんは時折大きな身振り手振りを交えながら、ミスターへのあふれる思いを口にした。
記録の王と記憶の長嶋。通算868本の世界記録を持つ自身と、圧倒的な勝負強さでファンの心を躍らせた長嶋さんを比べるキーワードとして、王さんは何度も「存在」という言葉を繰り返した。
「ユーモラスなところもあったし、明るいし、まぁ長嶋さんなら何でも許されちゃうっていう存在でした。打てなくても落ち込むわけじゃないし、打ったからって偉そうにするわけじゃない。不思議な魅力っていうか。だからファンにもメディアのみなさんにも特別な存在と扱われてたんじゃないかな」と長嶋さんの持つカリスマ性を評した。「存在感では全然かないませんから、僕はホームランをとにかく追っかけた。数字でしか争えませんから、追いつけ追い越せって思いでした」と、盟友であると同時にライバルでもあった若き日を振り返った。
◆ 何度も ❝ 存在 ❞
尽きることのない思い出。監督としても00年の「ONシリーズ]で日本一を争った。結果は2勝4敗。「ジャイアンツは強かった。長嶋さんが思い描いて作ったチーム。だから(その後の)❝ 打倒ジャイアンツ ❞ にホークスだけじゃなくて他のチームもなったんじゃないかな」と、指揮官としても背番号3の「存在感」を思い知らされた。
そんな「特別な存在」晩年、病との長い闘いを強いられた。「何であれだけ世の中に尽くした人が苦労しなきゃいけないのかっていうのが、私の正直な気持ち」と天命を恨みながらも、「つらいリハビリにも前向きだった。野球をやっていた時もそうだったけど、退くってことのない人生だった」と、「特別な存在」であり続けた89年に思いをはせた。
訃報を受け、いち早く長嶋家を弔問に訪れた。「顔を見てホッとしました。長嶋茂雄が昔と変わらずそこにいる。残念なことではあるけど、長嶋さんがいたってことに僕はホッとした」。最後にもう一度、強烈な光を放つ「存在感」をかあみしめた。(星野和明)
~ 1974年10月14日 現役最後の日 ~
1974年10月14日、巨人・長嶋茂雄が17年間の現役生活に別れを告げた。中日とのダブルヘッダーを終え、5万人のファンの声援に涙を浮かべて応えた。セレモニーでは今も語り継がれる「我が巨人軍は永久に不滅です」のフレーズで心境を吐露。当時の紙面から「現役最後の日」を振り返る。
🥎制止振り切り外野に向かった
長嶋は泣いた。珠玉の涙がそのホオを伝わった。抜けるような青空の下、数々の栄光を刻んできた後楽園球場で青年・長嶋は泣いていた。
第一試合終了後、感動的なハプニングが5万観衆の涙を誘った。両軍ナインがロッカーへ引き揚げた無人のグランドへ長嶋は突然一人歩き出していた。球団が演出したセレモニーにはない衝撃的な惜別だった。
「外野ファンにもお別れと感謝のあいさつをしたい……」混乱を配慮した球団の制止を振り切って歩を進めた。
帽子を振り、両手をかざす長嶋に5万観衆は全員が立ち上がっていた。痛くなるような拍手と「長嶋、長嶋」の絶叫の中で長嶋は千金の笑顔を振りまいていたのだ。
だが、右翼スタンド前まできたときだった。長嶋の足が止まった。ポケットから白いタオルをとり出して顔をおおった。激しい嗚咽だった。万感が胸を襲っているのだろう長嶋は肩をふるわせ、そしてまた踏みしめるように歩き出した。
「たくさん泣け、長嶋」「もっと泣け、長嶋」中堅から左翼席のファンも総立ちだ。・・・・・・・
偉大なバットマンは最後の最後まで、その燃える闘志をグランドで表現してみせた。4回、土井を一塁に置いて長嶋のバットがうなった。中日の先発村上の4球目、真芯でとらえた弾丸ライナーが左翼席へ一直線に消えていた。15号2ラン。今季1勝をマークしているが、無名の投手が「足がふるえてどうしようもなかった。まだ夢を見ているようです」と抑えようもない感動に自分を見失った。
中略
つるべ落としの秋の日が西に落ちて、白球の飛び交ったグランドに夕やみが迫ったいた。照明灯が消えた。静かにバットを置いた偉大なスターが、一筋のスポットライトにあざやかに浮かび上がった。そのひたいに、プロ野球を引っ張り続けた17年間の激戦の歴史がきざみこまれていた。
ふるえる声がうみ鳴りのように続く歓声と拍手をしずめた。
「みなさん、本当にありがとうございました…」別れの歌が静かに、悲しく流れていく。ともに喜び、ともに苦しみ抜いたナインの手を握りながらまた泣いた。
偉大な英雄が姿を消した。万人の心に強烈なイメージをしるして…。14日、後楽園球場。形容しがたい感動にファンは酔い、泣いた。この日の長嶋の、そして自らの涙を5万観衆は忘れないー。
◆ 天覧試合 ◆ 1959年6月25日(後楽園)
🥎 長嶋が一番の思い出と語った天覧試合 🥎(2025.6.4 スポーツ報知10面)
(2025.6.4 スポーツ報知)
天皇陛下が野球というゲームを初めて見られるそのゲームはスリリングな
シーソーゲームとなった。
天皇陛下がお帰りにならなければならない時刻が刻々とせまっていた。
同点で迎えた9回裏、陛下お帰りまで残り5分。先頭打者は長嶋。
まさに絵に描いたような展開である
長嶋は村山の4球目を渾身の力を込めて振り抜いた
レフトのポールを巻き込むように、劇的なサヨナラホームランとなった。
初めての天覧試合がこのような展開をだれが想像したであろう。
前日まで不振だった長嶋はこの日2本のホームラン、その1本は球史に残る
ホームランとなった。
まさに劇画の世界である
…………🥎 長嶋茂雄文化人としての12年間 🥎…………
1980年に監督退任後12年間浪人生活を送った。
充電期間でもあったが、その間、世界各国を回り、まるで友好大使のごとく世界の著名人と会った。
1982年にはバチカン市国でのヨハネ・パウロ2世への謁見、さらには1984のロサンゼルス、1988年のソウル、1992年のバルセロナのオリンピックと3大会を現地入りし取材している。
2025年6月4日の報知新聞29面に載った世界の著名人との交流写真がある。
ペレ(サッカーの神様と呼ばれたブラジルの選手)、カウントべーシー(アメリカのジャズピアノ奏者でありバンドリーダー)、ウィリー・メイズ(MLBで3283安打走攻守揃った外野手)、ゲーリー・カーター(MLB野球殿堂入りした名捕手)、フランツ・ベッケンバウアー(皇帝と呼ばれた最強のドイツサッカー選手)、フリオ・イグレシアス(スペインの歌手)、ブルック・シールズ(米女優)、ビヨルン・ボルグ(スウェーデンのテニス選手全仏4連覇ウインブルドン5連覇)、アーノルド・パーマー(米ゴルファーマスターズ4勝)、カール・ルイス(米陸上金メダリスト)、マイク・タイソン(米ボクシング元ヘビー級チャンピオン)、ピエール・カルダン(フランス・ファッションデザイナー)、メリル・ストリーブ(米女優)と錚々たるメンバーである。
新聞のリードそのもの、偉大な文化人と言ってもいい。
日本のスーパースターだからこそ、これほど多くの著名人と会えたと思えるが、
❝ ヘイ!カール ❞ ではないが、長嶋自身に備わった品格・品性に裏打ちされたオーラは
人種、男女を超越した人格からか、誰とでも一瞬で打ち解けた。
…………🥎 各界からの追悼コメント 🥎…………
◆ たけし「神のような存在」 ◆
長嶋さんの大ファンで、生粋のG党で知られるタレント・ビートたけしが3日、自身の公式サイトで故人を追悼した。
たけしは、悲報を受けて「いずれこの日が来るとは覚悟していたが、実際にそうなってみると気が抜けた感じがしてしょうがない」と吐露。長嶋さんとは番組での対談や、ゴルフを共にするなど公私で親交があった。2015年には、たけしの熱烈オファーによりテレビ東京系特番で共演が実現し「この年になった今でもすてきで恰好いい」と少年のように目を輝かせていた。
たけしはこの日も、憧れ続けたスーパースターを「同じ時代を生きた神のような存在だった」と深い尊敬の念をあらわに。「物心ついて野球に目覚めてから数十年、ファンという感情以上のあこがれを持っていたし、その存在をずっと意識し、活躍にいつも励まされる思いだった。本当にショックだ」と惜しんだ。
◆ プリティ氏「気配りに感謝」 ◆
長嶋茂雄さんのものまねタレントとして活動し、現在千葉県議を務めるプリティ長嶋氏は「人のことをよく心配する方。私のことも気にかけてくれて、ありがたかった」と追悼した。
最後に会ったのは2013年。長嶋さんが千葉県庁で千葉県民栄誉賞を授与された時、プリティ氏が祝福の花束を手渡し、「ここで働いてます」と県議に転職したことを報告。すると、長嶋さんから「俺が知らないと思っていたのか」と言われたといい、「ずっと私を気にかけてくれていた。とても心に刺さっています」としのんだ。
◆ 谷亮子さん 長嶋さんは私の英雄 ◆
中3の1990年12月、福岡国際で優勝したことをずっと覚えてくださっていて、試合ごとに激励会や祝勝会を個人的に開いてくださって大きな励みになりました。福岡国際10連覇には都内の中華店で、赤いバラの花束をプレゼントしてくださり、うれしくて感激しました。
2025.6.4 スポーツ報知 19面
2000年のシドニー五輪前には、直筆のお手紙をいただきました。お会いするたびに、試合のテーマになることを何気ない言葉で伝えてくださるのが印象的だったんですが、シドニーの時のお手紙は「中3の福岡国際で初めての国際大会で優勝した経験が非常に大きいと思う」「あの経験は誰もができることではない」「これまでの一つ一つの経験が亮子ちゃんを成長させてくれている。今回は絶対に大輪の花が咲くから」などという内容。過去2回の五輪は銀メダルで、今度こそ金メダルという思いは強かった。国民のみなさんの期待を長嶋さんも、ものすごく感じておられて「その応援が力になるんだ」と。ただ、その言葉を強調するのではなく、サラッと話の流れで言われるんです。これまでもたくさん、いいお話を聞かせてもらいました。どの言葉も心に残っています。
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いつも笑顔で接してくれて、お会いするたびに力をいただきました。一言で表すなら「不滅の笑顔」。誰よりもファンを愛してくれた長嶋さんは、これからもずっと多くの方の心の中に残って愛され、ずっと輝き続ける人だと思います。私にとって英雄です。
◆ ミスターラグビー松尾雄治さんの人生変えた ◆
出会いは1985年1月の日本選手権。監督兼SOとして新日鉄釜石を史上初の7連覇に導いた引退試合に長嶋さんが訪れた。当初は父の会社を継ぐ予定だったが、長嶋さんから「スポーツ界で仕事をしていかなくちゃいかん」と諭され翻意。「長嶋さんが『新聞社は報知新聞、テレビは日本テレビ』と。その通りにした」。
🥎 野球界から 🥎
🥎 純粋な野球人・・・張本勲氏
「自分の体の一部を取られたような思いだ。本当に残念でならない。本当に純粋は野球人だった。人の悪口は絶対に言わない人。プロ野球の象徴だし、ミスターのおかげで繫栄して国民的スポーツになったと思う」
🥎 フォーム理想・・・山本浩二氏(元広島監督)
「わかいときから『コーちゃん』と呼んでくれた身近な人。みんなを明るく、笑顔にさせる。ずっとミスターのランクにいきたい思いがあった。憧れもあったし、理想の打撃フォームだった」
🥎 大根切り被弾・・・外木場義郎氏(v9巨人相手にノーヒッターの元広島投手)
「長嶋さんは他の打者が打てないような球を打ってくる。後楽園で7回2死まで無安打で、外角高めを『大根切り』で本塁打されたのが印象深い。対策は『長嶋さんの顔を見るな』でした」
🥎 夢だった三振・・・安仁屋宗八(元広島投手)
「長嶋さんが僕のシュート対策にと、自主トレで新聞紙を丸めたボールを投げさせて打つ練習をしていたらしい。長嶋さんは沖縄でも大ヒーローで『この人から三振を取りたい』というのが夢だった」
🥎 よく打たれた・・・元中日・権藤博氏
「雲の上の人だったが、いつも気軽に声をかけてくれた。現役時代はとにかくよく打たれたから、私のことが好きだったのかもしれない。普通の人だった号外が出ることも、総理大臣がコメントを出すこともない。これが本当の巨星落つ。寂しいなんてもんじゃない」
🥎 阪神OB会長・掛布雅之
「長嶋さんは同じ千葉出身で少年時代からの憧れ、野球にのめりこむきっかけとなった人でした。今振り返ると、ルーキーイヤーと長嶋さんの現役最終年がかぶり、1年だけでも同じグラウンドに立てた経験は一生の宝物となりました。結婚式のスピーチで『巨人戦で数多くのホームランを打たれて悔しい思いもした。だが、郷土の後輩で、心の中では誰にも負けない大きな拍手を送っている掛布ファンの一人です』と語ってくれたときは涙がでました。
不振で悩んでいる時には自宅に電話をかけてきてくれて『今、バットを振ってみなさい』と指導を受けたことも思い出です。突然の訃報に驚き、大きな脱力感に襲われています」
🚴 競輪界から 🚴
🚴中野浩一氏(世界選手権10連覇 元競輪選手)
「ニュースで知って言葉が出ません。長嶋さんとは東京ドームの監督室で一緒に写真を撮ってもらったり、ベンチにも連れていってもらいました。東京ドームに志村けんさんを連れていったこともあり、その時長嶋さんが志村さんに『リラックスするにはどうしてるんですか?』と聞いたら、志村さんは『お酒です』と答えたら長嶋さんが『やっぱりドリンクですね』と答えたのを覚えています。僕は元々陸上をしていましたので、東京の世界陸上でもご一緒させてもらいました。子どもの頃から長嶋さんはスーパースターでした。引退された翌年に僕はデビューしました。競輪をプロスポーツと言われながらプロ野球とかと違い、花形ではなかったです。だから僕はそれがモチベーションになって、プロ野球に追いつけるよう頑張ってきました。
🚴岡部芳幸(2000年日本選手権優勝 競輪選手)
「ニュースで知って驚きました。2001年のKEIRINグランプリ前夜祭のゲストで来ていただいて、出場する9人に記念品を渡してくれました。小さい時からジャイアンツファンで、長嶋さん、王さんは憧れていましたし、その長嶋さんから記念品を直接手渡されるなんて、ものすごく緊張したのを覚えています。その時、長嶋さんが『いいネクタイしてるね』と言いながら、少し曲がっていた僕の赤いネクタイを直してくれたんです。目の前どこじゃない近さで。もう、ガチガチでした」
⛳ ゴルフ界から ⛳
⛳尾崎将司(プロ通算 歴代最多 94勝)
「ショックが大きすぎてコメントが出せない」
長嶋さんの勝負強さに憧れ、キャディバッグなどに「333]という数字を入れてプレーし、教え子の女子プロらに「3・3・3」にこだわった教訓も教えている。
⛳青木 功(プロ通算 51勝)
「今年3月に行った、私の文化功労者を祝う会の発起人にもご就任いただき、会に参加できず申し訳ないとお電話いただいたのが、長嶋名誉監督と交わした最後の言葉でした。ジュニアゴルファー育成の為のチャリティーオークションの際にご協力をお願いしたところ、2回目以降はこちらからお願いしなくてもそろそろオークションの時期ですよね、と連絡してくださり、ご自身のサイングッズをお送りいただくなどお気遣いいただきました。私はいつも甘えるばかりで何もできず、亡くなる前にお会いしお礼を申し上げたかったです。私の大切な仲間がまた一人旅立ってしまいただただ寂しいです」
⛳石川遼(プロ19勝)
「自分がゴルフをしながら、野球界の大スターとお会いできる機会に恵まれたこと、そして長嶋さんから力強い握手とともに激励のお言葉をいただいたことは私にとって一生の宝です」
🏇 競馬界から・・・訃報に😿 🏇
☆ 天真爛漫なイメージもとにかく気配りすごいー日本一のビッグスターであった ☆
《西川オーナー思い出語る》
長嶋茂雄さんとは長年お付き合いをさせていただき、素晴らしい思い出ばかりでした。世間では天真爛漫なイメージの長嶋さんですが、とにかく人をほめたり、たてたり、すごく気配りをしてくださる方でいらっしゃいました。
昔、ハワイから帰る飛行機でたまたま隣の席になったことがありました。私はあまりお酒を飲まない方なのですが、「ワインのみますか?私の頼むワインはさいこうですよ!」なんて言ってキャビアなども頼んでくれて、9時間寝るはずが一睡もせずに帰りました。サインを頼まれる姿をみて、うちの息子がファンだからと私もお願いすると、「山田太郎様」という宛名と自分のサインを同じ大きさで書いてくれたのです。普通は自分のサインを真ん中に大きく書くところ、気配りというか勉強になるなと感銘を受けました。
2025.6.4 スポーツ報知 23面
14年の有馬記念にいらっしゃったのは、親交の深い里見治オーナーとの食事会で競馬の話題になり、長嶋さんをお誘いしたところ、「ぜひいきたいです」とおっしゃったからです。当協会の馬主役員室からご覧になっていて、レース前の盛り上がりに「すごいですね。なんの騒ぎですか?」と外に出られたので、私が機転を利かせて許可をもらい、放送局に伝えるとともに当時の後藤正幸理事長に大急ぎで来てもらい、あのワンシーンになったのです。筋書きにない特別な演出で、本当にいい思い出です。
日本一のビッグスターであった長嶋さん。心よりご冥福をお祈り申し上げます。(中山馬主協会会長)
以上、スポーツ報知から抜粋。
2025.6.4 スポーツ報知 32面
ミスタのーのこの後ろ姿、去っていく姿とダブって切なくなる。
もう2度と見ることができないあの笑顔。
今はただ、喪失感、寂寥感、虚脱感、、、、
強烈なる光源を失った反動と闘うしかない。









