長嶋野球のすべてー

野球は格闘技だ(角川書店S58.7.10長島茂雄=編)

 

 この本は長島が解任された3年後にかかれたものである。

 

 巻頭には、長島カムバックの声が高まる中、「はじめに」と題し、長島本人の心中を自ら語っている。

 

 本文では長島が考える野球の真髄、野球への姿勢、野球は格闘技というその意味等々、長島野球に迫った内容だ。さらに、各界からのラブコールもなかなか熱い。

 

 はじめに ● I will win.

 

 巨人のユニホームを脱ぎ、フリーになって三年目に入ったが、いまだに私に関する情報があれこれ伝えられ、ファンの皆様もユニフォーム時代と少しも変わらず私を応援して下さり、とくに「もう一度ユニフォームを着ろ!」と球界復帰を望む声があちこちから寄せられていることにはただ感激するばかりである。

 

 巨人退団直後に私へ寄せられたラブコールも、1年もたてば自然と下火になり、長嶋茂雄もいつか忘れられる存在になると思っていた。

 

 私はその間に1人静かに自分を見つめ直し、23年間のユニフォーム生活でしみついたアカをきれいに落とそうと考えていた。ところが、ありがたいことだが、2年が過ぎ、3年目になってもファンの皆様の応援はいっこうに衰えず、むしろ勢いを増して私を叱咤激励してくれている。

 

 この不思議な現象を自分なりに考えないわけにはいかない。確かに選手時代こそ華やかな成績を残し、ファンに喜んでいただける活躍をすることができたが、監督在任の6年間は苦悩の連続で、結果としても満足できるものを残せたとはいえない。むしろ、監督長島に関しては無能とか、失格の手厳しい批判をいただいたクチである。

 

しかし、ここで1つだけいえることは、選手時代、監督時代を問わず、23年間、私はだれにも負けないほど野球に対して情熱を燃やし、本当に一心不乱に取り組んできたという自負である。

 

 (中略)

 私はもう一度、グランドに戻る決意だ。ファンによって育てられ、いまなおファンの応援によってくじけそうになる心を支えられている私である。「その日」もきっとファンの皆様が決めてくれると思うし、その期待に沿った形で進退を処していきたいと思う。

 

  昭和58年7月  長嶋茂雄

 

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池田高野球こそが

 ボクの理想のベースボール

 

 昭和58年4月2日、甲子園の選抜高校野球は決勝戦が行われていた。対戦校は前年の夏の大会で荒木大輔の早実高から11点をもぎとった池田高と横浜商業である。

 

 横浜商業のマウンドは、とても高校生では打ちこなせないと評判の大きなカーブを武器とする三浦投手である。しかし、池田高の打線は苦もなく三浦の球を打った。打球は激しく甲子園の土を噛み内野手の頭を超え、あるいは快音とともに外野に飛んだ。

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 57年の夏の甲子園で池田高校が優勝を勝ちえたとき、長島は「高校野球の歴史を変えたチームだ」と絶賛した。

 

 ノーアウトでランナーが1塁に出れば、判で押したようにバント、ワンアウトでランナーがサード、カウント1-2なら無条件にスクイズーーーといった甲子園戦法という常識をはねとばし、初球から思い切ってバットを振り、猛烈な打撃で相手を圧倒する池田野球。

 これこそが長島の目標としたベースボールなのだ。

 

 上から管理された選手は言われたことしかできない。しかし自分で自分を管理する選手からは意外性のあるプレーが生まれる。――――と長島は確信している。

 

 

◆勝ってシラけさせるなら

 負けておもしろい試合をしろ

 

 監督は勝利によって評価が高まる。勝てば官軍、の典型的な仕事だが、長島はファンのために、時に、目先の勝利など忘れることがあった。

 

 昭和55年8月17日、後楽園球場での巨人・阪神戦のことである。試合開始から小雨が降り注いていたが、夏休みの真最中の伝統の一戦ということで、スタンドは5万の大観衆でふくれあがっていた。

 

 巨人が4-2とリードした8回表、阪神の攻撃がはじまった。1死1,2塁と鹿取を攻め、代打・中村勝がカウント2-3まで粘った。四球なら満塁になる場面である。

 

 長島はここでベンチをけり、鹿取に代えて左腕の角をマウンドに送った。ところが、角がウォーミングアップにとりかかった時、文字通り ❝ 水 ❞ が入った。試合開始から降っていた雨が、にわかに激しくなり、人工芝をたたき始めたのである。それは豪雨に近い雨足であっという間にグランドのあちこちに水が浮き上がり、カクテル光線を浴びて光り出した。

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「いいぞ、いいぞ、もっと降れ。中止で試合はいただきた」

選手サロンに引き揚げた巨人ナインは口々に叫んだ。

 

 絶体絶命のピンチに、タイミングよく降り注いだ雨。このまま雨がふり続けば7回で試合は打ち切られ、巨人の勝ちとなる。まさに恵みの雨、ナインが雨乞いしたのも当然であった。

 

 しかし、長島は違った。

 

 「試合はやるぞ。伝統の一戦に、これだけお客さんが来てくれているんだ。みんな夏休みでやっと手に入れた切符で試合を見にきてくれたんだ。このままやめるわけにはいかん。決着をつけなきゃあ……。いいか、気を抜かずに準備しておくんだぞ」 とヤル気満々なのである。

 

 監督とすればまず10人が10人、中止による勝利を願うだろう。

 

 だが、長島はファンを喜ばすために目先の勝利への欲望を捨て、試合続行を希望した。

 

 「勝ってファンをシラケさせるぐらいなら、負けてもおもしろい試合だったといわれる方がいい。もちろん勝つことが最大のファンサービスだが、130試合すべて勝つわけにはいかない。せめてその日球場に来てくれたファンんに満足してもらうのが我々のつとめだと思う。ファンあってのプロ野球なんだからね」

 

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◆勝てばいいのではない

 ファンに満足してもらえるかどうかが重要だ

 

 プロは結果がすべて、それまでの過程、舞台裏は見せる必要はない--------長島は現役時代からこの主義を押し通してきた。およそ「努力」などという言葉はいわない。どんなに陰で苦しんでいようとも、グランドでそんな素振りは一つも見せず、常にすました顔でプレーをした。

 

・・・・・・

 

 ある人は長島のこの考えを、プロフェッショナルと見る。だが、別の見方をすれば、それは野球選手としての長島のダンディズムなのだ。事実、長島は服装のセンスも抜群で、背広の着こなしもなかなかのものだった。

 ・・・・・・

  身長178cm  74kg

 現役時代の体型は均整がとれ、当時としては日本人離れした新しいスマートさだった。

 好みの色も若さの象徴のブルーで、フルーの背広を着て、さっそうと大股で歩く姿はダンディだった。

 

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 実際、現役時代の長島には「努力の人」といった形容はほとんど使われなかったが、グランドの派手な活躍の陰では脂汗をしたたらせてもがく苦労を重ねていた。

 

「球場には毎日7割は違うお客さんがくる。そのたまに来てくださったお客様さんにどうしたら満足して帰ってもらえるのか、をいつもボクはかんがえていた」

 

「本当に一打席、一打席に燃焼したが、どうしても打てない時もある。それなら守備で喜んでもらおうとがんばり、守備もダメな時はダイナミックな走塁で、と考えてプレーしたが、なにもかもダメな時も多かった。

 そういう日はまず家に帰ると一人部屋にこもり、ファンのみなさん、今日は申し訳なかった、明日は必ずいいところをお見せしますから、これにこりず、また球場に来て下さい、と心の中で謝る。それから素振りをはじめるんだ」

 

 その素振りがちょっとやそっとのものではない。上半身裸になって降りはじめる。一時間、二時間……。しまいに、手袋がすり切れ、手のひらから血が吹き出す。血が吹き出すと、さらにチューブを巻きつけてまた振る。ここまでやると素振りの音だけで、いいスイングだったか、悪いスイングだったのか見分けがつくようになってくるそうだ。夢中で振っているうちにいつの間にか夜が明けたこともしばしばだったという。

 

◆   記録 ――群を抜いているONの殊勲打

 

 <先制打 ・同点打 ・勝ち越し打 ・逆転打> などを併せて殊勲打と呼ぶが、V9時代の殊勲打を拾い出すと、9年間で 王282、 長島 258 となり、3位黒江は3分の1の87というのだからONの貢献度がいかに並はずれたものだったかがわる。

 

◎長島の公式戦獲得タイトルは

 最優秀選手5回

 首位打者6回

 本塁打王2回

 打点王5回

 新人王

 ベスト・ナイン17回(連続)

 ダイヤモンドグラブ賞2回

  日本シリーズ最優秀選手4回は史上最高記録でちょっと破られそうにない。

 

 

 

◆   会話術―英語編

 

 S49年、監督就任直後にアメリカのニューオリンズは米大リーグのウインター・ミーティング参加のため渡米した時、土産物屋でチップを払うのを忘れ、思わず、

 「オー、アイアム失礼!」

 とやった話は有名だが、外人選手とのやりとりなどすべてフィーリング語。

 

 「トゥデイ、ファイン、フルースカイよ。ユー、バッティングフリーね。ヘイ、レッツゴー」

 といわれると、外人選手のほうもたちまち了解、

 「OK、ボス!」

 ということになる。

 

 ある日のこと、打撃練習しているシピンがいまひとつ元気がない。

 

「ヘイ、ジョン(シピンの名前)、ユー、ラストナイト、ジゼル?(シピンの妻)

 昨晩、ジゼル夫人を愛しすぎたのだろうという質問だ。シピンがすまして、

「イエース、トゥタイムズ(2)

 と答えた。

 

「トゥタイムズ? オー、ユー、オーバーワークね。トゥデイ、ユー、トゥホームランよ(今日は2ホーマー)

とシピンの腰のあたりを叩き、それから、

「ジョンのやつめ、ジゼルにふぬけになったか」

と、舌打ち。ところが、その日の試合、シピンが本当に2ホーマーを叩き込んだ。

 

ベンチに引き揚げてくるシピンの手を握りながら、

長島は、「OK、ジゼル、グッドワイフ」

・・・・・

 

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◆本当の奇襲には

 飛車も歩に使え

 

 その夜、ミーティングに集まったベテラン選手たちはみな胸のつかえを覚え、厳しい顔をしていた。V9戦法にならされたベテランたちにとって、長島の采配はあまりに奇抜で、理解しにくいことが多すぎたのである。

 

 52519日、福井での大洋戦で「飛車」を「歩」に使った采配はチーム内に大きな波紋を投げた。

 

 当時、巨人は6連敗中で、大洋を相手にした北陸シリーズも富山、金沢と投手陣がメッタ打ちにされ、打線も鳴りをひそめていた。

 

 問題の場面は3回裏である。

 1点リードされた巨人は無死13塁の絶好機を迎えた。バッターは3番張本である。王が次に控えるこれ以上ないチャンスだ。長島はマウンド上の宮本を見ながら考えた。

 

「今日の張本は打てんな。第一打席も無死1,2塁のチャンスにルーキー斎藤明の速球につまるなど、いまひとつスイングが鈍い。しかも、今度は左腕の宮本だ。外野への犠牲フライもむずかしいかもしれない」

 

 こうして出されたサインは「スクイズ」だった。

 これにはベンチも、3塁ベースコーチの黒江もびっくりした。

 「スクイズか。張本わかるかな」

 

 ブロックサインを送りながら、黒江は不安を感じたという。無理もない。その前年8月のヤクルト戦で生まれてはじめてスクイズを成功させているものの、張本はこの日まで、彼の長く輝かしい球歴の中で犠牲バントは2度しかやってないのだ。

 

 張本の方は、びっくりするどころか、まさかの思いの方が強く、黒江コーチの疑似サインだと判断、初球のストライクを落ち着き払って見送った。が、3塁走者の柴田は、サイン通りホームへ走ったからたまらない。打席で棒立ちになっている張本の目の前で柴田はあっさりと殺された。

 

 このあと、張本が中前へ同点タイムリー安打を放ち、チームも9回裏に高田が劇的な逆転2ランサヨナラホーマーを左翼席に叩きこんで、連敗を脱出したのだが、しかし、スクイズ失敗の波紋は小さくなかった。

 

「だいたいノーアウトで3番の張本さんにスクイズはない。飛車は飛車、中心打者には中心打者の役割りがある。それを監督はもっと大事にしてくれないと……」

 こういう批判的な声が、とくにベテラン選手たちの間に渦巻いた。

 

 長島は平然としていた。表面だけ見れば、奇襲の失敗である。無謀、セオリー無死の采配の一言で片づけられる。しかし、長島は周囲があっと驚き、首をかしげるくらいの作戦でないと本当の奇襲とはいえないと思っていた。

 

 「まあ、しょうがない。オレだって張本だったらびっくり仰天、サインを見間違ったかもしれんからなあ……」

 批判などどこ吹く風と言った感じだったが、東京に戻ると、ベテラン選手だけを集めてミーティングを開いた。

 

 そこでスクイズ指令の意図を説明した。

 

 「張本のプライドを傷つけたのはすまないと思っている。

 

 しかし打てない時はみんなが歩になって小技で攻めるしかない。成功、失敗よりも全員になんとか力を合わせて点をとろうという気持ちを植え付けたかったんだ。ボクの野球がわからないという人もいるだろう。もちろんボクだってあくまでもセオリーは大切にする。しかし、自分の野球に対する考え方は、セオリー70%、奇襲30%だ。張本へのスクイズも、その30%の部分に入るわけだ。これからもこういう作戦を随時盛り込むと思うので了解してほしい。わからないこと、不満があったら遠慮なく聞きにきてくれ」

 

 長島が、自分の考えている野球をベテランたちに説明したのはこの時がはじめてであった。

 ミーティング後、ベテラン選手たちは、「どんなサインがとびだすかわからない」と心に期すとともに、以来、長島野球、作戦に興味を持って関心をむけはじめた。

 

 そのあたりのことを土井正三氏はこういっている。

「監督と選手の顔が向き合ったすばらしいミーティングでした。監督在任中にああしたミーティングをもっと数多くやっていれば、長島さんもいろいろ誤解されずにすんだんでしょうが……。やはりボクらベテランにはテレというか遠慮があったんでしょう。いま思うと残念です」

 

 

◆星野仙の新魔球

 

 長島が選手時代、マウンドで相対したときのことである。

 星野は長島によく打たれ、なんとか抑えてやろうといつもカッカしていた。

 

 気合いが入れば当然肩に力も入る。それも度がすぎたためか、投げる瞬間に、振りかぶる段階でボールを持った右手が右の腰の部分に触れてしまった。この衝撃で手の中でボールが動き、中途半端な握り方になった。ボールの縫い目から指がはずれ、いわゆるわしづかみのような状態である。

 

「あっ、しまった」 と星野は思ったが、途中で投球をやめたら、ボークとなってしまう。

「エイッ、かまうもんか」

 

 そのわしづかみのまま、長島に向かって投げ込んだ。ところが、ケガの功名で、このボールがすばらしい変化球となって、ホームプレート付近でふわっと落ちた。

 

 予期せぬ ❝ 変化球 ❞ に長島はあわててバットを出した。鈍い音がし、当たりそこないの投ゴロになった。

 星野はほっとし、したり顔でこの打球をつかむと、ゆっくりと一塁に投げてアウトにした。

 

 チェンジとなり、一塁側のベンチに引き揚げていく時、一塁からUターンしてきた長島とすれ違った。

 

 長島は首をひねり、オーバーに両手をひろげて驚きの顔をしてみせ、すれ違いざま、星野に声をかけた。

 

「仙、いまのはいい球だぜ。なんだ、あれは。あの球磨くといい。まず、だれも打てないぜ」

 

 いい球だといわれても偶然のにぎりそこないから生まれたものであり、もう一度といわれても投げられるしろものではない。

 

「ええ、まあ……。ありがとうございます」

 

 とその場をとりつくろい笑顔を返した。❝ 星野は ❞ 長島が打ちとられた悔しさより、❝ 魔球 ❞ の威力をほめ、アドバイスしてくれたことに感激し、「スケールの大きな人だ」と改めて長島に惚れ直したという。

 

 

◆阪神・小林へトレーナーを派遣

 

 巨人は53年のシーズン、江川との交換トレードに出した小林にこっぴどくやられた。結局、一つも勝てず8連敗。・・・・・

 それだけに翌54年、長島の ❝ 打倒小林 ❞ にかける意気込みはすごかった。

 キャンプから下手投げの投手を意識して打ち込ませる練習を重ねた。キャンプが終わり、3日のオープン戦で巨人は甲子園に乗り込んだ。

 

 小林の先発が予想されており、長島はキャンプの成果を試す絶好のチャンスと胸をはずませていた。ところが小林は試合はもちろんピッチング練習もせずに球場を引き揚げていってしまった。肩透かしを食らったわけだが、よく調べてみると、小林は右ヒジを痛めているという情報が入ってきた。長嶋はそれを聞いてマユを曇らせた。

 

「コバはヒジをやっちゃったのか。去年の力投が響いたんだな。かわいそうに……」

 打倒小林をにぎらついていた目は、心配そうな細い目に変わった。

 

 東京へ戻ると巨人の岡島トレーナーをひそかに呼んだ。小林が巨人にいたころ世話をしていたトレーナーで小林の体質をよく知っている。

 

 「岡ちゃん、内緒で大阪に行き、コバのヒジをみてやってくれ」

 「監督、いいんですかそんなことして」

 

 驚きの顔の岡島トレーナーに長島は大きくうなずいて、

 「コバは球界の財産だ。このままつぶれてしまったら球界の大損失。ウチだってキチッと仕上がったコバを打ち砕いてこそ雪辱を果たしたといえるのであって、ケガの投手の球を打ってもなんにもならんからな。ただし、この話は絶対これよ」

 と、口にチャックするゼスチャーをした。

 

「・・・・・敵に塩を送ることなどおかしいと思う人の方が多いでしょう・・・・

 ・・・・・相手に好投手や好打者がいて、こちらもそれに負けないと努力する。こうして球界のレベルは高まり、お客さんに喜んでもらえる野球ができるようになる・・・・

・・・・・甘いか、この考え」とちょっと首をかしげて・・・・・・・

 「いや、間違っていないと思うな」

 こう自分で答えて長島はうなずいた。

 

◆ ❝ 巨人の長男 ❞ の

 プレッシャーをハネ返した男

 

 5993日夜、王の756号ホーマーで日本中が揺れ動いた日だ。王はテレビ局でのインタビューを終えて、・・・・・ビールで世紀の一発に乾杯したあと、王はしみじみといった。

 

「長島さんが現役時代、ボクが決勝ホームランを打っても、新聞の大見出しは先制打を放った長島さんということが何度もあって、そのたびに口惜しい思いをした。ボクがいくら活躍しても、マスコミは次男坊扱いにかしてくれなかたった」

 

 苦い過去を思い出しそして続けた。

 

 「ところが長島さんが現役を引退し、ボクが巨人の長男坊格になり、記録に挑戦するようになって初めてわかった。ボクが勝利に関係ないホームランを打っても大見出しになる。その代わり、チームの責任の大きさをしみじみ感じるようになった。次男坊の時は思いもかけなかった責任の大きさ。それに長男坊の長島さんは耐えて、あれだけの活躍をしてきたのだ。長島さんの偉大さが、いま一層、わかってきた」

 

 ONと並び称されたスーパースターの二人。長島が天衣無縫の天才剣士なら、王は道をきわめる孤高の剣聖。

 明るくショーマンシップをふりまく長島、真摯に白球に取り組む王。チャンスをかならずものにした意外性の高い長島の打撃、がっちりとフォームを固め、ホームランポイントは必ずアーチに結びつけた王……すべてに対照的な古今不世出の黄金コンピである。

 

 しかし、この二人、現役時代から一緒に食事をしたり、飲んだりするような個人的なつき合いはめったになかった。それでいて両雄は見事に並び立った。―――

 

 「オレはワンちゃんの867本のホームランをただ一人、そのそばで見続けた。こんな誇らしいことはない。あの特異な一本足打法を完成させた血のにじむ努力。すばらしい男とコンビを組めたことはしあわせだった」

と長島はいい、

 

 王もまた、「長島さんという偉大な打者がいたからこそボクもあれだけホームランが打てた。あれほど明るく、情熱的に野球にとり組み、数々のドラマを作った人はいない。一緒にプレーしている自分までもそのプレーに酔いしれたものだ。もう、二度と長島さんのような選手は生まれないだろう」

 

 そして共通していたのはともに派閥といったものにはおよそ無関心だったという点である。

 

 長島は現役最後のころは、一番を打たされたり、ベンチに引っ込められたり、かなり屈辱的な使われ方をされたが、そんな苦い思いがあったためか、長島は王がどんな不振でも、最後まで4番をはずすことなく、巨人の看板打者として礼を貫き通したのである。

 

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◆   長島復活の日

 

 長島が常に手本としているものに、名物男、ビリー・マーチン監督の激しい ❝ ケンカ野球 ❞ がある。渡米するたびに必ずといっていいほどマーチンを訪ねるが、彼は長島にいつもこういう。

 

 「嵐のような野球、炎のように激しい野球をしなければならない」

 

 そして、自らの野球を次のように説明するのだ。

 「ヒットエンドランあり、トリックプレーあり、盗塁はダブルスチールもトリプルスチールもそろえている。小飛球で二塁まで走り、投手にだって時にはホームスチールを要求する。なんでも起こるのがオレの野球なんだ」

 

 ・・・・・

 

 この闘将の言動にはたえず気を付け、こまごまとメモしては、頭に叩き込んでいる。

 

 長島は管理野球が嫌いだ。プロなら上からではなく自分で自分を管理し、一つのプレーも自分で考えて対処するのが当たり前で、管理された選手からは意外性のあるプレーは生まれにくい。管理野球はプロとして恥ずかしいことだと考えている。

 

 個性と個性の競演が野球全体のレベルを高め、選手同士の信頼を生み、そして自然のうちにチームワークがとれてくる。スキのない管理野球を個々の技術、激しさで打ち破ることができれば、また違った新しい野球の魅力が生まれ、ファンにもアピールすると確信しているのだ。

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 浪人中、講演を中心とした各種出演依頼は300件を超している。また、表にはでないがCMの引き合いも十数件、マスコミのインタビュー取材となるとこれはもう数えきれないほどだが、長島はそれらのすべてを断り続けている。

 

 「23年間のユニフォーム生活でボクは集中力の大切さを学んだ。いまは勉強の期間。いろいろボクのことをかつぎ出してくれる方々には感謝の気持ちでいっぱいだが、とにかくいまは雑音をさけて、勉強に集中したい。人様の前で講演するよりもっともっと自分自身を磨かなければいけないと思う」

 

 ひたすら ❝ 打てるタマ ❞ を待ち、その絶好球が来た時、長島茂雄は華々しく逆転ドラマの幕をあけようと考えているのである………。

 

 

……………― ラブコール ~~~~~~~……………――――――~~~~~~~

 

💚 石原裕次郎(俳優) 💚

 

 シゲはオレが危篤状態のときも真っ先に病院にかけつけてくれたが、オレにとっては肉親と同じぐらいの友達だ。昔、一緒にアメリカに行った時、機内でスチュワーデスから「禁煙です」と言われ、シゲはあわてて手で火をもみ消した。そういう純なところがオレは大好きだが、いまなお少しもそれは失われていない。本当に真っ白な男だ。なにも焦って汚い球界に戻ることはない。じっくりと待機しているだけで、自然、周りから切り開かれていく。シゲというのはそういう男さ。

 

💚 中村勘九郎(歌舞伎役者) 💚

 

 長島さんのいない巨人なんてどんどん負けて消滅してしまえばいいんだ。長島さんが手塩にかけて育てた巨人の選手には活躍してもらいたいけど。長島さんを追い出したチームは勝ってもらいたくないという矛盾したきもち。あれほど純粋な巨人ファンをこんな気持ちにさせたのはいったいだれなんだ。とにかく長島さんがカムバックするまでは、巨人が負けつづけることをただひたすら願っている。腹の虫がおさまらないよ。

 

💚 花籠親方(横綱・輪島) 💚

 

 五十年の春、夏、名古屋三場所連続して休場した。腰痛で肉体的にも精神的にもガタガタだった。確かNHKホールだった。ワシが腰の悪いことを話したら「家へこないか。指圧の先生を紹介してやるから」といわれた。

 

 長島さんの家で指圧の先生に診てもらってね。その後メロンが出たんだ。おまけに「車代を持っていきなさい」とお金まで渡してくれて……。舌にしみわたるメロンの甘さと何から何まで心配してくれる長島さんの優しい心遣いに、ワシ、泣きそうになるほど嬉しかった。

 

 帰りがけに「これぐらいのことでくじけちゃあダメだ。横綱は土俵の上で強いだけでなく、逆境にも強いからこそ横綱なんだ」とハッパをかけられてね。それから五年以上土俵をつとめ、その間に7回も優勝できたのも長島さんのあのひと言で頑張れたからにほかならない。もうワシの長島さんに対する気持ちは、ファンを通り越して尊敬というか、恩人といってもいいな。

 

 勝負に対する天性のカンとすばらしい精神集中力、そして日本人の心を引きつけて離さなかった長島さんをワシはいつも見習ってきたが、またグランドに戻って、巨人の若手を育てた時のような情熱的な指導ぶりを是非見せて、ワシの手本となってください。一生おつきあいをしていただきたいと思っている。

 

💚 萬屋錦之助(俳優) 💚

 

 「ああ、なんとかげりのない青年だろう」雑誌の対談で長島君と初めて会った時、強烈な印象を受けたのをいまでもはっきり覚えている。彼が巨人に入団した時だから、もう256年にもなりますか。・・・・・

 

とにかくホームランを打っても、三振をしても、彼が出てくるだけで、どれだけ多くの人が明るい気持ちになり勇気づけられたことか。彼こそ生まれながらのスターだと思いますね。彼のことを天才と人はいうけど、自分の生まれ持った資質だけでプレーしたはずはなく、他人の知らないところでの努力は想像を絶するのがあったでしょう。

 

 退団の時といい、その後といい、彼は他人が何といおうと全く弁解しないのがいい。結果だけが勝負に生きる男の宿命と考えているからでしょう。・・・・・彼なら必ず、もう一度スタートの時がくるはず。その朗報を私も心から待ち望んでいます。がんばれ、ナガシマ!

 

💚 ビリー・マーチン(ヤンキース監督)💚

 

 ミスター・シゲオ、ボクもヤンキースの監督にカムバックしたのだから、キミも是非、巨人の監督に戻ってほしい。キミの闘争的な攻撃野球はボクの理論まったく一致している。アメリカへ来たら、いつでも立ち寄ってほしい。ミスター・シゲオのためならどんな協力も惜しまないつもりだ。日本でユニフォームを着るチャンスがないなら、どうだい、ヤンキースへ来て、一緒にやらないか?

 

💗冨士真奈美(女優)💗

 長嶋様が、昭和551021日、極悪非道、理不尽に不当解任されたとき、私はショックのあまり寝込んでしまった。突然の衝撃。口惜しさ無念さに、娘を幼稚園に送り届ける役は野球音痴の家人に任せ、ひたすらスポーツ紙に目を走らせながら、ただ涙するばかり。長島様の御心中、如何ばかりであろうと。

 

 長島様はあの年、全力を尽くしてやっと3位までチームを押し上げられた。ベテランは疲弊し、若手

がようやく台頭のきざし、どう考えたって精一杯であった。来季こそ、とファンは思い、新聞も監督留決定

報じていた。

 

 巨人戦の視聴率が落ちたことも長島様追放の一因にあげられた。ふざけるんじゃない!あの、ゴリ押しといわれた江川の入団時、全てのマスコミが巨人、江川に罵詈雑言を浴びせかけ、社会問題にすら発展しかけたことは、忘れない人は忘れない。あの時の汚辱を共に被りながら、江川をまもり続けたのが、クリーン、長島様だった。長島様は俗世のことは関係なく、江川の力量、才能だけを、ともに天才のみが知るものとして評価された。プロの才覚。❝ オヌシ、やるのう ❞ のあれである。

 

 ところが1年目、江川は期待に応えなかった。長島様は、3年目に彼は花開くでしょう。と、仰せられた。その予言は当たっていた。

 だが、結局、読売巨人軍のすべてのドロを被される形になって、鵺のような連中に、後ろから袈裟掛けに切り捨てられた。輝かしい、私たちの長島様が!

 

 このような非道、何条もって許されるべき!巨人を、憧れやまぬ栄光あるチームとして築きあげた、輝かしい英雄、長島様!どのように遇しようと過ぎたるはなく、巨人のイメージを昴揚されたお方!それがなんと、フジタだ?マキノだ?

 

 現在の巨人、若手選手は原を除いて長島様が手塩にかけられた人達だ。姑、小姑、巨人という権威に群がる男たちは、育った彼らによって、長島政権が続くことを恐れ、闇討ちの政変を行ったに違いない、と思うのだが。

 

 私なんぞはカネも力もない道端の一ファンであるが、長島様が笑えば大笑いし、涙すればワンワン泣く、熱烈にして純情カレンな心を常に持っている。巨人一筋30年の操を投げ捨ていまはただ、さまよえるプロ野球ファンである身が悲しい。

 

 ユニフォーム姿こそ長島様の真のお姿と書けばまた散る我が涙。長島様どこのチームに草履を脱がれようとも、おあとを慕って応援しまする!(「長島新聞」より抜粋)   

       

 

  そういえば、もう何年も前に『冨士真奈美』氏が長島を熱く語るテレビを見たことがあった。

  まさに、このラブコールに劣らず ❝ 長島愛 ❞ にあふれていたことを思い出す。