フィリピン留学体験記⑤ 「手作りの校舎」 | hideinu日記

フィリピン留学体験記⑤ 「手作りの校舎」

前回の記事はこちら→フィリピン留学体験記④ 「運命の出会い」

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 3人の運命的な出会いから、3ヶ月たった2010年12月末。井坂さんはまだ、リサーチのために東南アジア諸国を回っていた。するとケビンから、マレーシアにいる井坂さんにこんなメールが入った。
「もう学校を造りはじめているよ。早くフィリピンに戻っておいでよ!」

 井坂さんが半信半疑でフィリピンに戻ったところ、ケビンの言ったとおり、ガーリーの父母が運営する学校の敷地内に、校舎がすでに建てられていた。

校舎のデザインをしたのは、ガーリーとケビン。その他、スタッフや先生たちも、校舎のペンキ塗りなどを手伝ったのだという。

「学校のイメージカラーは、ガーリーやケビンと話し合って、元気が出る“オレンジ色”にしたんです。スタッフみんなで校舎を手作りしたなんて、おそらく僕らの学校くらいですよね」と井坂さんは笑う。

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≪みんなで手作りしたCNE1の校舎≫


 こうして井坂さんも、CNE1の日本人代表として加わることになった。3年間もの時間をかけて入念にリサーチしてきたからこそ、こんな奇跡的な出会いが訪れたのだろう。

といっても、すべてが順調にいったわけではない。フィリピン、韓国、日本――。それぞれの国の慣習が異なるため、3人の意見がぶつかることも多かったという。
シャワールームにカーテンを取り付けるかどうか」「4人部屋をメインにするか、それとも個室をメインにするか」そんな細かいことも、ときにはケンカをしながら3人が納得するまでとことん話合って決めていった。


△英語はコミュニケーションのための“手段”

 言うまでもなく、彼ら3人共通語は“英語”である。フィリピン人のガーリーも、韓国人のケビンも、そして日本人の井坂さんも、英語は母国語ではない。だから、多少の訛りはあるし、ときには不自由に感じることがあるかもしれない。しかし彼らは、英語でコミュニケーションを取りながら、ゼロから学校を創り、軌道に乗せ、今も運営を続けている。

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≪左から、日本人代表の井坂さん、フィリピン人代表のガーリー、韓国人代表のケビン≫


「もし、僕が英語を話せなかったら、フィリピンという異国の地で、国籍の違う人たちと学校を創るなんてできなかったでしょう」
井坂さんはそういって、改めて “英語”を習得することで広がる可能性について思いを巡らせた。

 
私たちは、何かと発音や文法ばかりにこだわってしまうけれど、まずは下手でもいいから、相手に英語で意思を伝えられるようになることが先決なのだ。
言葉は、コミュニケーションの“手段”を得るために学ぶのであって、テストで良い点数をとるために学ぶわけではない。

「英語は世界中で話されている言語ですから、それぞれの国で発音や言い回しは異なります。ですから、発音や文法の間違いを気にするより、とにかく話すこと。日本人が英語を話せないのは、話す機会がないからなんです。話す機会さえ増えれば、誰だって話せるようになるんですよ」

そんな井坂さんの言葉に少し気が軽くなったところで、車は3時間のドライブを終えCNE1に到着した。いよいよ、私のフィリピン留学の始まりである。


フィリピン留学体験記⑥「もう日本では味わえないこと」につづく

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