今日はUPが続きます(汗)
 
今度は初めての愛車にて書きます。
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今回もセピア色の汚い画ですいません。
高校生の終わり頃、私はオフロードと言うか、モトクロスに興味を持ち
友達から買ったヤマハAT125後期型の保安部品を外したもので、モトクロスコースを走ってました。とは言っても、ギャップをなめる様にしか走れませんでしたが、確実にモトクロスにのめり込んでいきました。
 
そして普通車免許を取得してから初めての愛車がニッサンホーミー2000、ロングでした。この車は祖父&祖母からプレゼントしてもらいました。勿論、最初にお二人を乗せてドライブしました。
 
さて、勿論使い道はモトクロッサーのトランスポーターとして使う為に選びました。入社してそうそうにヤマハYZ125(初ポリタンク車)の新同車を会社の先輩(モトクロスをされてた方が辞める為)から購入し、この車に乗せて、練習に通いました。
このキャラバン&ホーミーは未だ発売されて一年程しか経っておらず、モトクロスをされてた諸先輩方からは熱い視線を感じてました。
本格的に競技をされてる方々はマシンの購入費用も掛かる(二年位で買い替える。戦闘力の高いマシンに乗換ないと勝てないから)し、遠征費用も凄く掛かる!よって高いトランスポーターはなかなか買えないというのが現実です。
その当時からワークスライダーはトランスポーターに凝り始め、いわゆるカスタムカーの原点みたいな車にみんな乗ってました。
主流はやはり最新型のキャラバン&ホーミーでした。
それに憧れて私も買ってもらった訳です。
サイドウィンドウは全て鉄板で埋めて、ヨットなどで使われる丸窓を埋め込んで、ボディはエアーブラシで画を描いて、星条旗柄のサイドマフラーを取り付け、エンケイバハやディッシュを履き、前13インチで後15インチでホットロッド仕様にする。
あと、運転席上にサンルーフを付け、内装はと言うと、シャギーのカーペットを敷いてリビングみたいになってる!
元々、ワークスライダーは休日の練習位しかモトクロッサーは積まないのでこの様になってるのだが、それでもこの超カッコイイ車にバイクを乗せて、練習に訪れた所を見た事もありました。
 
かくいう私のホーミーはと言うと、自作シャクル(危険)でけつをあげ、モトクロスクラブの方から安く買った鉄ちんホイールをゴールドに塗り、
前ラジアルタイヤ新品、後その方がS30Zに履いていたグッドイヤーのバイアスタイヤ(当時、パーネリージョーンズと共にホワイトレターの四角いバイヤスタイヤが流行っていた。グリップ力は弱い)を履き、何ともちぐはぐな組み合わせで走ってました。
そして、当時流行りのカルフォルニアミラーも付けてました。まるでおもちゃの様に、下取りの事は全く考えずに弄ってました。窓はディーラーに頼んで、内側から塗装してもらい、運転席&助手席共にコロナのシートを改造して取り付けてましたが、何とも着座位置が高くなりすぎて運転し難いったらありゃしませんでした。
でも、カスタムカーにはワークスライダーは皆さんこの様に改造してると書いてあったものですから、真似して改造したんですが・・・
大体、エンジンの遮へい板が平らで無いのに、そのまま取り付けられる訳も無く、私はスペーサーをかませていたのが、高くなった原因ですが、ショップは遮へい板を改造していたのかな??
後は、前後バンパーを車体色に塗装して、ウィンカー&テールカバーも車体色に同色塗装してもらい、自分でラジエターグリルを黒く塗装したくらいでした。
 
YZ125を買い、一年は練習ばかりしていました。
しかし、全くエンジンのメンテナンス(勿論エアクリとかは洗ってましたよ)しなかったので、ある日クラッチが切れなくなり(フリクションプレートは交換したが直らなかった)ダメになった!今から思えば、何故バイク屋で見てもらわなかったのかは不明!
そしてパワーを使い切る事もないであろう250ならばエンジンもそれ程痛まないと思い、購入!その当時はまだ空冷エンジンだったので、空燃比も濃く、とろとろ走ってると直ぐにプラグがかぶってしまう始末でした。かぶら無くなるには暫く掛かりましたが、なんとか250でも走れる様になり、いよいよ地方選手権へもエントリーすることになりました。
しかし、世の中そんなに甘くない!鈴鹿での初戦は予選不通過!
第二戦目の愛知では、狭い上り坂で転倒していたライダーに絡んで名誉の負傷と全く歯がたちませんでした。
 
足を怪我して、暫くは会社でもまともに仕事も出来ずにいた時に、
お花見の開催があり、そこで恋に落ち、モトクロスから離れてしまったのでした。そして、車も変わっていくのでした。
 
次のブログに続く!(俺って軟弱者ーーー!もてない男が彼女出来ら舞いあがっちゃったのね!)
 
※これって車の話じゃないじゃん!?