秀吉に「西国無双」と称賛された立花宗茂の関ヶ原敗戦(34歳)から亡くなる(76歳)までの「立花の義」を貫く武士の姿をえがいた物語
いい本だった (ノ_-。)
立花の義は、立花家の名前の由来にある
一時期九州の覇者たった大友宗麟が敗戦を機に衰亡し諸豪が離反していく中で鎌倉以来の忠誠心を失わずに支え続けたのが、宗茂の父「高橋紹運」と誾千代(ぎんちよ)の父「戸次道雪」
元々、筑前立花を根拠地にしていた大友一族のひとりである「立花鑑載(あきとし)」が名乗っていた名前
鑑載は宗麟に叛き、これを責め敗死させ立花城の城督となったのが戸次道雪
道雪は宗麟に立花姓を名乗る事を願ったが、二度にわたって叛いた鑑載を憎んでいたため許さず道雪は戸次姓のままでいたが、誾千代に家督を譲った際に立花姓に改めた
「宗麟は、立花は不忠者の姓だと思っているので、立花姓を名乗るからには、決して裏切ってはならぬ」と誾千代に言い聞かせた
この事を胸に刻んだ誾千代は宗茂との婚礼の夜に「立花の義とは裏切らぬこと」と夫婦で誓う
物語は、関ヶ原で西軍につき大津城を攻め落としたが、敗報を知った宗茂は大阪城籠城を進言するが煮え切らぬ西軍に憤り九州へ戻ったところから始まる
大軍を率いて宗茂を攻めてきた加藤清正(朝鮮で宗茂に助けられ宗茂をかっている)と鍋島直茂に果敢にも女武者を従え鉄砲で対峙しようとする勇ましい誾千代、浪人生活に入り再度大名になる事を望み京都で生活をする宗茂と九度山で蟄居している真田信繁(雪村)との交流など他の作品ではあまり使われない話があって興味深い
後に徳川秀忠の旗本になり、立花家の桃形兜(ももなりかぶと)に金箔を押した(金甲)と称した軍装で大阪の陣に赴く
戦の場面は少ないが、戦場を疾走する真田の赤備え、立花の金甲武者を短い文章で迫力のある書き方をしていると思う
宗茂と関わる女性「誾千代」「八千子」「菊子」、真田信繁の妻「利世」のそれぞれの女性感もちらっと書かれているが、物語の主は城主と側近たちの熱い関係
男の熱い関係にホロッときたりした
立花宗茂家中が文禄・慶長の役で使用したと伝わる桃形兜

