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スピリチュアルセラピストのひーくんです😊

 

 

毎日拝聴している円覚寺管長日記

 

 

今日のテーマは、

「人は自己を変えることができるのか」

でした。

 

 

 

その中から、印象に残った部分を引用させていただきます。

 

 

私たちは、よりよいものを求め、より快適なものを求めることをあたりまえのように思っています。

 

果たしてそれでほんとうに幸せになれたのでありましょうか。

 

もっともそれで十分幸せだという人には仏教は必要ではありません。

 

仏教は無理に人に押しつけるものではないのです。

 

そのようによりよいものを追い求めることが人生の幸せではないと思う人が、仏教を求めるのであります。

 

欲求を追い求める人生が何をもたらすのでしょうか。

 

夢を手に⼊れるための駆動力、人生のパワー、将来の希望などです。

 

逆に夢を追い求めることに執着してしまうと、マイナスの面にもなるのです。

 

それは執着による貪欲や怒り、憎しみ、嫉み、そしてうまくゆかなったときの劣等感などがあります。

 

また追い求める道がふさがれた時にはどうしようもない絶望感を味わうというのです。

 

しかし欲求を追い求める生き方をやめると、こんどは、それら怒りや憎しみ、嫉み、劣等感、絶望感からは解放されることになります。

 

ただし、欲求を追い求める人生と追い求めない人生には、優劣も善悪もありません。

 

それぞれの生き方があるということです。

 

 

そして欲求を追い求める人生をやめると、⼼の平安が得られる。

 

ではそのように欲求を追い求める人生をやめるにはどうしたらよいのかというと、この世の中のしくみを正しく知ることなのです。

 

仏教で説くのは、この世には絶対者も創造主もいないのであって、すべては原因と結果の関係性によって動いているという縁起の法則を知ることなのです。

 

夢を追い求める生き方の基盤となるものは「私」と「私のもの」が変わらず存在しているという思いなのであります。

 

そして、とりもなおさずそれを捨てることこそが安楽をもたらすというのが仏教の肝心なところであります。

 

 

あなたはどちらの幸せを求めますか?

 

明日へ続きます。

 

 

皆さんに愛と光を送ります✨

 

何か気になる方はこちらも是非!!