(6)
うなじを灼く強い陽射しに、火照った体を冷まそうと、
誰もが、我先にと、海水に浸かっては出、
出ては、浸かってたりしていた。
甲高い悲鳴や、キャーキャーわめく声が、ひっきりなしで、
笑い声も絶えず、わんわんした騒ぎと、むんむんした熱気は、
まるで、大きな露天浴場さながらの光景だった。
中でも、堤防の石垣の途中につかまり、
上まで上ろうとする者がいて、
下から面白半分に、そいつの海水パンツを掴み、
ずり下げようとするやつがいる。
それを見ながら、はやし立てたり、笑い転げる連中もいたり、
そのすぐ横の石段には、
飛び込みの順番を待つ列ができていて、
一番上から順に高飛び込みをしている。
出来ない奴は、ラムネと言って、
ただ単に、直立した姿勢のまま、飛び降りるだけだが、
真下には、浮きにつかまって泳いでいる子らがいる。
誰かが上から飛び込んで、落ちるたんびに、
水しぶきがかかり、びしょ濡れになった顔を両手で拭い、
目をぱちくりしたり、鼻をかんだりしている。
その場から早く逃げればいいのに、
他の場所は、大勢の子らでふさがり、どうにもならない。
それから、そうだ、銛で、魚や蟹を取ったりするものもいた。
水中メガネが、鏡のように反射して、白く光っていたっけ。
水浴は、なぜこうも特別な解放感をもたらすのだろうか。
冷たい水の中に浸かっているだけで、
自然に声を張り上げたくなる。無心になれる。
なぜ、急にこんなことを言うかと言うと、
誰もが、かつては、母親のおなかにいた。
羊水に浸かっていたんだ。
だから、無意識のうちに、人間は、
不安な現実から逃れるようにして、水を慕い、
水に懐かしさみたいなものを感じて、
水と戯れたくなるのではなかろうかと思ったんだ。
母胎回帰願望の一種だって?
まあ、それはさておき、話はまだあるんだ。聴いてくれよ。
人間は、水に親しむ術をいろいろと考えつくものだが、
その時、俺もさっそく水に浸かって泳いだんだ。
近くの沖に廃船があってな。
甲板に上がると、もう先客でいっぱいだった。
そこも順番待ちさ。何がって、クレーンのワイヤーにつかまり、
海の上にドボーンと落ちるターザンごっこだよ。
同じラムネでも、こっちの方が、もっとスリリングで、
船の操舵室の屋根に上がって、高飛び込みするやつもいたな。
そのうち、泳ぎに疲れて、
俺は、甲板の上にひっくり返って休んでいた。
すると、「助けてえ」と、女の子の頓狂な声がした。
びっくりして、そっちの方を見ると、
舷側から手が伸び、必死につかまろうとしている。
中学生くらいの女の子だった。