(26)

『あのメロディーは、確か「黒いオルフェ」。

テレビでその映画を見たことがある。

 

物語の舞台は、リオのカーニバル。

そのカーニバルの日に、二人が知り合う。

知り合って間もなく、その恋人は殺されるんだ・・・

 

ボサノバ・・・いいな・・・夏の夕方にぴったりの音楽・・・

あれは・・・The  shadow  of  your  smile  

 When  you  are  gone・・・

「いそしぎ」・・・

 

あの女性歌手は、マリーの声音にそっくり・・・

真夏の夕暮れ・・・サックスの音色・・・』

 

山道は、ここで行き止まりかと思ったが、

藪の藪の間に、か細い道が、

さらに上の方へと招くように伸びていた。

 

時の腕に抱かれて、夕闇が、

その安息の時を告げに、あらゆるものに忍び入ろうとしていた。

 

突然、白い物体が、高い木の枝から枝へ、

音もなく飛び移って行った。

 

どきっとして、一瞬、マリーが現れたかと思った。

 

こちらをじっと見つめているフクロウの面貌は、

人面さながらで、ぼくは怖じ気を振るうように、

また、その注視せる視線を跳ね返すように、

ますます自分の悲しみの穴蔵へ潜り込みながら、

薄暗い林の中を急いだ。

 

『帽子を目深に冠ったマリーが、

脅かすつもりで、岩の間から急に飛び出してくるんではないか。

ああ、どうか、そうであってほしい。

 

ほら、次の岩の角からマリーが飛び出してきて、

にっこり笑う』

と、ぼくは、絶えずマリーの面影を抱いて、

逢引の場所を次々に想定しながら、

林の中の小道を突き進んで行った。

 

だが、期待した場所は、いつも、

ぽっかりと口を開けたように、空しい幻滅が待っていた。

 

それでも飽くことなく、

次のさらなる大きな期待を抱いて前進した。

まるで、次々と地面を飛び移って行くハンミョウのように。

 

『あそこに見える小藪の蔭に、マリーが待ち伏せしている』

ぼくは、なおも期待に胸を熱くしながら、

薄暗くなった小道を息せき切りながら、上り続けた。

 

薔薇の花のような、かすかないい匂いがした。

と、思ったその刹那、小道の真向こうの灌木の暗くなった蔭から、

帽子を目深に冠ったマリーの、

端正な鼻筋と、笑って拡がる愛らしい口元が、ぽっと現れた。

 

ぼくは、もっと確かめたくて近寄った。

だが、それは間もなく消滅してしまった。

幻視していたのだろうか。

 

あるいは、たまたま木の影が、

壁に見るシミのように、人の形に見えただけなのか。

 

額から流れ落ちる汗を、

ぼくは、ワイシャツの袖で拭きとった。

 

遠く、海と空の交わる水平線上に、雲が青く棚引き、

新しい山脈が、突如出現したように見えた。

 

その雲の山脈よりもさらに高い所に、

残照に映えた積乱雲が、赤く、力こぶのように隆起して、

夏の一日を名残り惜しむような、ほとぼりの最後の光耀を示していた。