(9)

和恵が、今にも出て来そうな気がして、

ドキドキした。

 

初めて見る店の中。

壁の棚に並んでいる品物は、

薬のほか、化粧品や入浴剤もある。

 

それらのすべてが和恵の味方になって、

四方からこの部外者を見つめている。

 

それに、入った時から、ある匂い、

これは薬屋特有のものなのだろうか、

生薬か何かの、乾いたような粉薬っぽい、

甘い匂いに包まれていた。

 

それは、和恵と初めて

フォークダンスした時の甘い匂いと重なった。

 

あれは、高校三年の、体育祭を間近に控えた

ある日の放課後のことだった。

 

それまで何回か、クラス全員で

ダンスの練習をしていたが、

この日も和恵と手をつなぐことができないのではないか。

番が廻って来るその前に、

いつものように曲が終わり、

練習も終わるのではないか、

と気が気でなかったが、とうとうその機会が巡って来た。

 

和恵と踊れたのは、この日が初めで最後だったが、

これまでにない近さで相対することができた時、

甘いような、いい匂いに包まれ、

ふうっと、気が遠くなり、

天上から何かが舞い降りて、

金色の光に優しく包まれたような気がした。

 

何がどうなっているのか、

状況判断もままならず、

半ば困惑しながら、茫然となって、

踊るのさえ忘れていた。

 

当然、相手の動きも止まり、

二人は、みんなから取り残され、

手をつないだまま、愚かしげにその場に突っ立っていた。

 

それを他の生徒が見逃さなかった。

冷やかしともあざけりともとれる笑い声がわき起こった。

 

もしかして、和恵と踊る者は、

こうしていつも注視されているのではなかろうかと思ったが、

すぐに気を取り直し、

「踊り方がわからない」

と、やっとのことでつぶやくように言ったら、

感で分かったのか、

「一、二、三、二、二、三」

と、拍子を取りながら、リードしてくれた。

 

まるで姉か母親にあやされている幼児のようで、

ふがいなかったが、

あの時の甘い匂いの正体が、

ここに来てやっとつかめた気がした。

 

留守なのか。

だが、店は開いている。

誰かいるはず。

 

もしかして、逢わない方がいいというしるしか。

このまま、何もなかったことにして帰ろうかと思った

その時、奥の障子を開け、

畳を擦りながら出てくる人の気配がした。

 

「いらっしゃい」

おばあさんだった。