ウォルター・ホーキンスの来日第一声を追う(9/22/2004)
~東京プロテスタント教会での特別メッセージ~

 

 遂に、あの世界的なゴスペル・アーティストであり、米国カリフォルニア・オークランドのLove Center Churchの牧師でもあるウォルター・ホーキンスが日本の土を踏んだ。勿論、今回の来日の主目的は翌日の「Japan Gospel Choir Fellowship 4」への出演ですが、たった3日間の滞在とは言え、折角の来日のチャンスを最大限活用しようと言う事で、365日、毎日礼拝を行っている、新しい、しかし、素晴らしい設備を備えた新宿・初台にある東京プロテスタント教会でメッセージとゴスペルを分かち合う事になりました。

 時間は3時開始と聞いていましたが、折角の機会を逃してなるものかとちょっと張り切りすぎて、実は、(新宿区民のくせに)1時には初台に到着…あんまり早いのも迷惑と思い、2時半までは東京オペラシティー1階のCASAで時間を潰してから会場へ向かったのでした。

 2時半を少し回ったところでしたが、席の方は、前の半分近くが埋まっています。平日の午後と思えば結構な人数です。「いやー、早目に来て良かったなあ…」と、折角なので、前から4列目くらいに席を取りました。3時少し前になると、席はほぼ埋まり、教会の賛美リーダーの方が出てきて、20分ほど、楽しく賛美をしました。

 そして、いよいよ、ウォルターが紹介されました。簡単な自己紹介と主に、アメリカでもこれから(10/26)販売予定の新作、『A Song In My Heart』から1曲、美しいバラードである「For Who You Are」が歌われました。更に、続いて、同行のシルヴェスター・フィンレイさんもウォルターのピアノで、「Speak To My Heart」を歌い上げました。彼は、ウォルターの教会、Love Center Churchのワーシップ・リーダーであり、アメリカではこのウォルターの新作にも参加している素晴らしいシンガーで、豊かな歌声は本当に感動的でした。

 

おおー、判りやすい?(笑)教会入口に

 

熱唱!ウォルター! 熱唱、その2

 

 そして、短い祈りの後、ヨハネの福音書8章をモチーフにした、ウォルターのメッセージが始まりました。パリサイ人が、何とかイエスを罪に陥れようとして、姦通の現場で捉えられた女性にどのように対応するかを求める箇所を丁寧に読み進め、イエスの心情や、当時のイスラエルの権威のあり方なども丁寧に説明されていました。恐らく、参加者にノン・クリスチャンの方も多いと言う事を伝え聞いての事だと思います。

 「“権威”のあるべき姿は、罪びとをただ社会から消し去る事ではなく、癒す事が目的です。権威を持っている事の最も重要な要素は癒しなのです。その時、人々は姦通の罪を犯した彼女を人としてではなく、“もの”として見ていました。ある意味、パリサイ人は、彼女をイエスを捕らえんが為の道具としてしか見ていなかった。でも、いつでも人間を“モノ”として見なすような時に間違いは起こります。これはクリスチャン的ではありません。」

 聖書の中で、「名前」は頻繁に、溢れんばかりに出てきます。中には殆ど名前だけのページもある位です。イエス様も、人々を各々の名前で呼びかけます。決して、ただの“大衆”“群集”とみなすのでは無く、その中に存在するひとりひとりを見ているのです。例えば、医者にかかった時に、その人の心や身体の状態を無視して、これは癌であるとか、エイズであるとか、病状だけを見ることは、いわばモルモット的で、人間的ではありません。神様はいつも、私達ひとりひとりが上手く行くように見守り、導いてくださる方なのです。神様にとって、誰もが、単なる“モノ”ではないのです。もし、誰かを本当に癒そうと思ったら、例えもし名前を知らないとしても、表面的な様子だけで判断は出来ないものではないでしょうか?

 イエスがここで最初に用いた原則は、「罪のない者だけがこのものに石を投げなさい」でした。イエス様にとって、判断の基準は“知識”では無いのです。みんなある程度知識はあると思いますが、しかし、人を裁くには善意に基づいた、完全なものでなければなりません。でも、誰も完全な知識など持っていないですよね。

 だからイエスが最初に見せたのは、罪を犯した人に対する憐れみです。医者の責任は、ある時は肉体的な癒しですが、ある時には患者の心情を理解し思いやる憐れみも必要です。ここで間違った結論を出す事も簡単です。誤解すべきで無いのは、罪人としての生き方が良いとは言っていない事です。罪を犯すことを気にしなくて良いとはひと言も言っていません。逆に、今後、そういった罪を二度と犯さないようにと注意されています。

 ここでイエス様が言っている事は、「I am a God of second chance」、次のチャンスを与える神であると言うことなのです。神は、あなたは自分の人生を滅茶苦茶にしてしまったけど、あなたの人生はこれで終った訳ではない、もうひとつの新しい人生を与える事で償いなさい、と。イエスの福音はこの、セカンド・チャンスの福音なのです。イエス様が一番興味があるのは、今までの過去がどうであったか、ではなく、これからどう生きる事が出来るのか?と言う事なのです。今まで起こった事が関係ない、とは言っていません。罪を犯すこと、法を破る事は、いつも問題になります。しかし、どのような人間にも、その人に過去が存在したように、将来・未来も存在するのです!

 イエスと、当時の宗教指導者との違いは、宗教指導者はただ、罰則だけを定めようとしていた事です。でもイエス様は許そうとしたのです。何故なら懲罰的な態度と言うのは、実は何も解決しないからです。権威の中にある者は人を裁く事への誘惑になかなか勝てません。しかし、イエス様が好きであったのは許すことでした。もう一度言いますが、罪を犯すことは間違いです。神が言わんとしているのは、あなたは間違いを犯した、しかし、私はあなたの人生を完全に変えることが出来る。あなたの過去がどうであってもあなたを信じている、と言っているのです。

 だからこそ、神様は「乾いているものは皆、私の元に来なさい」といっているのです。そしてあなたの心の底から、生ける水の川が流れ出るのです。今、皆さんに選択があります。今までの人生に戻る事も出来ますが、新しい人生を選ぶ事も出来ます。だから「私が道であり、真理であり、命であります」なのです。「私は単なる地図上の道表示ではなくて、私こそが道そのものだ」と。教理でも、哲学でなく、彼は人、なのです。神は人の弱さや痛みを知る人なのです。だから私達が遭遇するどのような問題でもよく御存知です。だから私はあなたの人生を完全に変えることが出来るのです、と。それはイエス様が今日も語っていることです。私達は、ゴスペルで神様について、福音について歌っています。彼こそが、私達を救い、生きる救い主であり、癒し主です。イエス様こそ、私達の解放者であり、そして、彼こそが二度目のチャンスを与える神なのです。

 だからイエス様はどんな問題に会おうとも直して下さいます。あなたが何をしていようとも、イエスは言われます、「私の元に来なさい、素顔のあなたのままで」と。

Amen !

長蛇の列にもめげず?気さくに記念撮影やサインに応じるウォルター。 私もその好意に甘んじて…(あ、メグさんだぁ~)
写真協力:Emi of Voce、Thank you!


 終了後、見渡すと見知った顔が一杯…楽しく歓談する事が出来ましたね~!一応、以下は今回、告知用に使われたちらしであります。