坂本 睦子(さかもと むつこ、1915年 - 1958年4月15日43歳没)
大岡昇平の小説『花影』のモデルとなった
銀座の文壇バーのホステスで、多くの文化人と関係を持った
略歴
静岡県三島市生まれ。孤児同然に育った不幸な生い立ちで、1930年、15歳、銀座のバー「はせ川」へ
女給として出て、直木三十五に口説かれて処女を
奪われた
1931年、16歳、青山二郎が出資した銀座のバー
「ウィンゾア」に出て、坂口安吾と中原中也が彼女を争った
1932年(17歳)から1936年(21歳)まで
安吾の愛人だった
小林秀雄に求婚されて、いったんは受け入れたが睦子が破棄し、オリンピックの選手と京都へ駆け落ちした
その後東京へ戻り、1935年、20歳、工場主を
パトロンとして銀座に「アルル」という自分の店を
持った
1938年、23歳から河上徹太郎の愛人となって長く続いた
戦後、1949年、34歳、青山二郎が睦子のアパートに住んだ
1950年、35歳、青山が命名した「風(プー)さん」が開店し、ここに勤めている時、作家としてデビューしたての大岡昇平と関係ができ、大岡のアメリカ留学を挟んで八年近く愛人関係にあった
1957年、42歳、大岡と別れ、一年後、自室で睡眠薬自殺を遂げた
直後に白洲正子は『文藝春秋』8月号に「銀座に生き銀座に死す-昭和文学史の裏面に生きた女」という
追悼文を書いた
こういう女をタライ回しとも言うが、俗に共同便所とも言う
なぜ坂口安吾や小林秀雄、河上徹太郎のような高い知性の作家たちが彼女と同衾*したかわからない
*一緒に寝て性的関係を持つこと
大体友人が抱いた女を抱き友人たちが挿入した同じ膣にペニスを挿入するのが気持ち悪くないのだろうか
その時、文壇と言う奇妙なグループのことを考える
文壇が成立したのは、明治20年代に尾崎紅葉という有能な「親方」が中心となり、仲間の作家を集め、
将来のある「弟子」を養った
こうして、文壇と言う、交友関係、師弟関係、恩顧関係、取引関係による閉鎖的な同業集団が形成された
例えば、太宰治は井伏鱒二が師匠であり、坂口安吾と檀一雄は太宰の親友だった
実際の所、文壇がなければ小説の執筆を依頼されたりすることもなかった
こういうグループは英米露仏には見当たらない
だから同じ女を文壇で共有するなども日本の文学者特有とも言える
この集団主義は、江戸時代から継続するもので、今の経済や料理や芸能にも通じる日本特有の
グルーピズム(集団主義)である
これに依拠している限り独立した個人はなく、
分かりやすい例は自民党の派閥である
石破茂が何回挑戦しても首相になれない理由は、派閥と言うグループに属さないから、大勢を占める他派閥から締め出されるからである
これからの日本を形成する若者たちは、一切グループに属さないで人生を切り開いてほしい
了