徳川幕府が264年間続いた理由

 

徳川幕府は、1603年(慶長8年)に徳川家康が征夷大将軍になった年から

大政奉還が行われた1867年(慶応3年)までの約264年間続いた

こんなに長く続いた理由は何だろう

 

1.鎖国

倒幕した最大の理由は黒船来航である

だから鎖国が長寿の最大の理由だ

  1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の

日米和親条約締結まで

  鎖国により諸外国の侵入を防いだ

2.参勤交代

  寛永12年(1635年)に徳川家光によって

制度化された

大名は一年おきに江戸と領地を行き来し、江戸を離れる場合でも正室と世継ぎは江戸に常住しなけれ  ばならなかった

旅費と滞在費を大名に負担させ、人質をも取る形となり、諸藩の軍事力を低下させた

1.外様大名の排除

大名は親藩、譜代、外様に分かれ

反逆の恐れのある外様を遠ざけた

・親藩:徳川家の一族

・譜代大名:関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えていた大名家

・外様大名:関ヶ原の戦い以降から徳川家に仕え始めた大名家

◎幕府の要職に全て譜代大名を充てたので、外様大名が政権を脅かせなかった

2.厳罰制度

①切腹は武士が脇刺しの刃を自分の腹につきたて、介錯人が大刀で首をはねる

②獄門は、市中を引きまわされたのちに斬首され刑場に首がさらされた

③火罪は放火犯に適用された刑罰で、

柱に縛り付けられたうえで焼き殺す

④磔(はりつけ)は、刑場の柱にはりつけた

上で、槍で突き刺して絶命させた

⑤鋸挽きの刑

市中を引き回された後、首から下を埋められ

首が地上に出る状態にして晒し者にされた

受刑者の首の側には鋸が置かれ通行人等が自由に鋸を引いて良かった

⑥強盗ではなく窃盗の場合でも、十両盗めば死罪と規定されている

 

これらの①鎖国、②大名の管理、③厳罰主義が

江戸時代の平和を支えていた

この鎖国が黒船来航で脅かされたことが

徳川幕府滅亡の最大の原因である