淫乱自民党の酒池肉林と岸田の末期

自民党青年局が和歌山で行われた会合の後でパーティーをやった

酔いが回った頃、下着姿の半裸の女性たちが出て来た

研究会にストリッパーを出す発想はどこから来るのか

 

舞台でストリップショウのような踊りをやった後

客席にやってきて自民党青年局の議員の下半身に跨(またが)り両腕を首に回しキスするぐらい唇を近づけてチップを口移しで受け取った

 

青年局員たちは、女性の尻や体を撫でまわした

要するに淫乱パーティーである

研究会場は忽ちおっぱいパブやピンクサロンになった

 

「ダンサーの体に触っていないと思うが触ったかも知れない」と言う自民党青年局長の見苦しい弁明だ

自民党・藤原崇青年局長:「(Q.体に触っていない?)はい。(Q.万が一、触っていたら議員辞職するか?)それについては、私の口から、今の時点では。私の今の認識は、そういう認識。今の認識は触っていない。(Q.変わる可能性は?)基本的にはない。(Q.触っているのか?)触ってないです。(Q.触っていたら議員やめますか?)当時の記憶では触ってないです。それについては、そのままです。それについて“いまの記憶”ということ。ただ、万が一のとき、議員辞職は重い話。記憶違いが、万が一あったときには、すべてを無にするので、今の時点では言いませんが、触ってない記憶は間違いない」

 

広瀬めぐみが男をラブホに連れ込んで夜通しいちゃつき、夜通し何をやっていたのか、翌日国会の議場で大あくびをし、挙句の果てに睡魔に勝てず議席につっぷしたのも淫乱極まりないが、青年局員たちも負けず劣らず淫乱である

 

「酒池肉林」とは、中国前漢時代の歴史家司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』「殷本紀」に記された一節が語源である

 

人口の大きな池に酒を満たし、男女を裸にして追いかけ回し夜通し酒を飲んで楽しんだ元祖淫乱パーティーである

 

帝辛(紂王)は美貌で、弁舌に優れ、頭の回転が速く、臣下が愚鈍に見えて、忠告を受けても得意の弁舌で煙に巻いた

そのため帝辛の増長はつのり、祭祀をおろそかにし、重税をかけて愛妾の妲己(だっき)に溺れ、日夜宴会を開いて乱交にふけった

 

帝辛は肉を天井から吊るし林に見立て、酒を溜めて池に見立て、女性をはべらせながら、ほしいままにこれらを飲み食いした

 

重税と淫蕩な上に苛烈な悪政に耐えかね、武王が立つと、ついに天下の諸侯は帝辛を倒すために立ち上がり、両軍は激突した

 

この時殷軍は70万を超える大軍であったが、戦意がないどころか武王が紂王を滅ぼしてくれるのを待ち望んでいたほどのありさまで、殷軍はあっというまに大敗した

 

首都に撤退した帝辛は鹿台に上り、焼身自殺した

その死体は武王により鉞(まさかり)で首を断たれた

 

悪事は長続きせず必ず天罰が下る

岸田の首が鉞で絶たれる日も遠くないだろう