75歳を迎えて日本の将来を憂うる

今日、75歳の誕生日を迎えました

1949年2月27日

 

2.26事件が1936年2月26~29

蔵相の高橋是清ら四名が殺され

警官5名が殉職しました

私が生まれたのは、そのわずか13年後です

 

事件後軍部の独裁が強まり、その五年後1941年に日米開戦し1945年敗戦

太平洋戦争では日本軍の軍人の死者が230万人、日本人の戦災死者数が80万人、総数310万人が戦死しました

 

その敗戦の4年後に私が生まれました

その年の出生者数は2,696,638人でピークです

2023年の出生者数は72.6万人で約四分の一です

 

私が生まれた1949年当時は、乳母車が一か月の給料と同じで、当時の初任給は平均4万円でした

なぜ金も食べる物もないのに子どもを産んだかと言うと、何とかなるさという希望があったからだと思います

 

2023年の出生数(日本人)は、前年に比べて4万人以上少ない72.6万人となる見通し

減少率は▲5.8%減となり、16年以降減勢が加速した中でも、19年と並ぶ最大の減少率となる公算です

 

23年の合計特殊出生率は、1.20程度になる見通し

「合計特殊出生率」とは、一人の女性が一生の間に産む子供の人数に相当します

夫婦二人で約一人の子どもしか生まないのですからやがて日本の人口は6000万人になるでしょう

 

今後、わが国の人口は、2020年の1億2,615万人から、2070年には8,700万人に減少すると予測されています

税収が半減すれば国力も半減します

 

お目出度い誕生日に情けない話になりました

ニッポンの最盛期に生まれた私たちは若い世代を鼓舞し日本を立て直す責任があります

それは、貧しくとも子孫や他国に迷惑をかけない堅実な国家だと思います

そのためには、質素倹約を標語にするしかありません

以上