向田邦子の脚本が他の作家と全然違うのは、明確なテーマが潜んでいることだ
寺内貫太郎一家第五話のメインテーマは雑居と独居だ
1974(昭和49)年当時は個室のない雑居住宅が普通で、私の生家も私の一家が住んだ公務員住宅もプライバシーのない鍵のかからない住居だった
これが日本の住宅の原型で始終お互いに干渉し合いながら暮らした
今にしてどうやってセックスしたのかと思うが実際子どもたちは見聞きしていたのである
五話のテーマは、浪人中の長男(西城秀樹)が受験勉強のために、親に間借りしたいと言う
親は金がないと言って揉めていると石工(いしく)の職人の左とん平が「我が儘を言うな」と張り倒す
長男の言い分が「うるさくってしょうがねえんだよ」
音がうるさいだけでなく始終干渉するのがうるさい
これが日本人の集団主義に起因するので、源氏物語でも夏目漱石でもプライバシーのない集団主義だ
一方アメリカやヨーロッパの国民は基本が独居で親と同居しない
日本の独居主義は方丈記の鴨長明に尽きる
これは「あらゆるものは永遠不滅でないから何もあてにするな」と言う無常観に基づいている
アメリカでも独居主義の例を二人挙げよう
先ずソロー
アメリカの作家ソロー(19C)が森の中に一人で暮らし始めたのは1845年
二年間あまり自然とともに質素だが誠実な生活をおくる
彼は森の中の小さな湖のほとりに居を構え、簡素な小屋を建て、育てた作物を食べ、自分の手を使った労働だけで生活した
次はサリンジャー
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公は、「だれもぼくを知らず、ぼくのほうでもだれも知らないところで、だれとも無益な馬鹿らしい会話をしないですみ、森のすぐ近くに小屋を立ててそこで死ぬまで暮らす」ことを理想とし、作者サリンジャー(20C)もそう生きた
何を隠そう私も独居主義だ
妻や母とメールや電話をするが独居主義だ
最近は夫婦でも個室を持つ人が増えた
夏目漱石はイギリス留学して個人主義を理想としたが実際は毎週来客を集めて木曜会をやり
酒も飲めないのに酔客の相手をして胃潰瘍を悪化させ大吐血を繰り返して49歳で早世した
漱石は、個人主義の大切さはわかったが、全然個人主義になれなかった
結論、日本人は矢張り漱石が言ったように個人主義を学ぶべきだ
「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握にぎってから大変強くなりました。彼かれら何者ぞやと気慨きがいが出ました。今まで茫然ぼうぜんと自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図さしずをしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯しょうがいの事業としようと考えたのです。
その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝いんうつな倫敦を眺めたのです。
私の個人主義(1914(大正13)年)
以上