三鷹陸橋と太宰治

太宰が大好きだった三鷹陸橋が壊される

陸橋を渡る度に太宰を思っていた

陸橋から西を見ると富士山や夕陽が美しかった

 

このすぐそばの駅前に鰻の屋台があり

そこで編集者と打ち合わせした

その傍に山崎富江のアパートがあり

そこで太宰は斜陽や人間失格を書き

山崎は愛人兼秘書替わりだった

山崎の煩悶の元は太田静子だった

太宰は太田の日記を使って斜陽を書いた

今なら盗作と言えるぐらい大幅に引用した

しかし山崎は太田に激しく嫉妬した

その理由は太宰が太田治子を認知したからだ

私見だが太宰が心中した最大の原因は

山崎が、太田に太宰を奪われまいと恐れたからだ

 

太宰はあちこちに遺書を書いたから覚悟の自殺だと世間は思ったが

師の井伏鱒二は無理心中だと主張した

理由は太宰の下駄が土手の泥に深く食い込み

猛烈に抵抗した後があったから

また警察は太宰の首に絞められた跡を見つけた

 

いざ死ぬ間際に太宰は怖くなり猛烈な抵抗をしたから

山崎は太宰の首を絞め両手両足を強く紐で結びつけて逃げられなくした

こうして山崎は太田に太宰を奪われず自分だけのものにしたのである

 

ここまで二人の女に激しく愛された太宰を果報者とは言わない

女難と言う