「秀と母」 第五章(最終章)
第130話 秀と母(最終話)
週末の土曜日。午前中は洗濯を終えると、仏壇と部屋の掃除を始める。一番始めに、仏壇左手前の特等席に置いてある母の位牌を手に持ち、話しかけながら丁寧に繊維クロスで拭く。続いて祖父、祖母、ご先祖様の位牌を一つずつ拭いていく。
仏壇の内側から外側はクイックルワイパーで綺麗に掃除。仏壇の上にうっすらと積もる埃も綺麗に取れる。クイックルワイパーが一つあれば、家の中どこでも掃除ができて便利だ。と、宣伝のようですが。
仏間の天袋近くの高さの位置に母の遺影が飾ってある。こちらもクイックルワイパーで拭く。部屋の隅には小さな木の台を置き、母の写真を飾ってある。そこに母が使っていた湯呑に水を入れてお供えしている。木の台も綺麗に拭いて、次は茶の間へ。
茶の間の液晶テレビの表と裏側、母が使っていた鏡台、食器棚、こたつの上と座布団も掃除して玄関へ。
玄関には母が使っていた電動ミシンがある。床板の張替えの時にコンセントを抜いてから繋げていないので、間違って踏んでも動かないし、ライトもつかない。動かないミシンに最初は寂しさを感じたこともあった。
ミシンと電話を乗せてある台を拭く。台の下には母が使っていた洋裁用具の入ったエコバッグが置いてある。それも拭いてから玄関の床、下駄箱を拭く。ちなみに冬は玄関が寒い。夏は暑い。と、季節そのままです。玄関の掃除を終えると脱衣所へ。
脱衣所は洗濯機と床下周辺を掃除してから、台所の床を掃除する。最後に全部屋を掃除機かけて終了。あとは風呂掃除のみ。生協のお風呂用洗剤「おふろクリーン」で湯船を綺麗に洗う。
掃除の全行程時間は五十分から一時間ほど。綺麗好きな母が喜んでくれると思うと、掃除もやりがいがある。掃除が終わると買い物へ出かける。
近所にあるお気に入りの八百屋さんへ。六十代の優しいおばさんとおじさん姉弟が営むお店。実直な仕事ぶりで大好きな八百屋さん。
毎週買うものは大体決まっている。レタス二個、トマト二個、それから仏壇にお供えする果物を二個。果物は季節によって変えていく。冬から春はりんご、夏はでこぽん等のオレンジ系、秋は母の大好きな柿。果物とは別に、母が好きな干し柿やふかし芋を買ってお供えする時もある。
八百屋のおばさん、おじさんは心優しく温かい。母が亡くなった頃はトウモロコシ、ふかし芋などを頂いた。たまにお勘定をおまけしてくれる時もある。
野菜を入れてくれるビニール袋が、家のゴミ箱袋に使いやすいサイズで「このビニール袋はどこで買うのですか?」と聞いたら「はい、あげる」と大量にいただけた。そういう優しさがとても嬉しい。
母が亡くなってすぐの寂しかった頃は慰められ励まされた。ありがたくて涙が出た。八百屋のおばさん、おじさんの優しさに心から感謝。毎週土曜日に八百屋さんへ行くのが楽しみだ。
八百屋さんで買い物を終えて生協へ向かう。野菜をまとめて買うと結構な重さになるが、一旦家に帰るのが面倒なので生協へ直行。
もし生協が近所になかったら大変困ることになっていただろう。それほど近所に商店街やスーパーがない。僕の住むこの地域の人達にとって、生協があってとても助かっている。
母がよく生協で買い物をしていたので、幼い頃はよく母について行った。
思い出すのは、コンビニがなかった時代の大晦日。お正月の三が日分の食材を大量に買い出し。母と一緒にショッピングカーを引いて生協へ往復して買い物をした頃が懐かしい。
生協は毎週土曜日はポイント二倍。日曜日はポイント五倍なので、できるだけ日曜日に買うようにしている。土曜に買うのは翌日に必要なものだけ。毎週お供えしている仏花を生協で選ぶのも楽しみの一つ。ちなみにわが家の日曜日の朝食はパンなので食パンとハム、牛乳を買う。その他生活必需品は日曜日に買ってポイントを稼ぐ主婦ならぬ主夫。
洗濯をして天気が気になるように、買い物では賞味期限を気にとめて、新しい日付の物を棚の奥から取る主婦ならぬ主夫。こうなってくるともうベテラン主夫。
生協でポイントを稼ぐためと、美味しそうな菓子パンを買う時がある。もちろん父の分も。生協で作っているパンは美味しいので「ついつい買っちゃうんだよなあ」と自分に言い訳をして手に取る。僕はシナモンロール、父はあんドーナツ。
以前に母が「秀郎が買い物すると、いつも余分な物が増えるね」と笑っていた頃が懐かしい。
母は生協の委員会にも入っていたので、生協やご近所でよく顔を知られていた。特に生協ベテラン女性店員のUさんは、母が亡くなったことに「とても残念です」と悲しんでくれた。
生協の保険に加入する時は親切丁寧に教えてくださったUさん。生協保険担当の人をして「完璧です」と、うならせたほどのお得な保険を選んでもらえた。
生協へ買い物に行くたびに、母を知るたくさんの人たちから優しく声をかけてもらえる。「とても良い人だったので残念で寂しい」と悲しんでくれる。みなさんが思う母の印象は「明るく楽しく良い笑顔」の人。
母が亡くなってから六年が経った今(2017年8月現在)も、みなさんが母の話をしてくれる。母を覚えてくれていることがとても嬉しい。母が誰からも愛されていたことが分かる。みなさんに会うたびにいつも感謝の気持ちを伝える。
「ありがとうございます」
八百屋さんと生協で買い物をすると荷物が重くなる。牛乳を買った日は特に重い。家が近くて良かった。でも重い。仏花を大事に手に持ち、わが家へ帰る。
それにしても生協の話題が多いですね。生協のCMに出たいぐらいです。
家に帰ると、買った物を冷蔵庫にしまう。仏花を生けるのは父のやりがいなので、お任せする。仏壇にお供えしている果物を替えるのは僕の役目。
時計を見るともう十二時近い。
「もうお昼になっちゃったよ。早いよね」
お昼を食べて二時間もすると、今度は洗濯物を取り込まなければならない。夕方になると晩ご飯のおかずを買いに生協へ行く。それまでの時間は、谷中へ散歩するか部屋でくつろぐ。そうこうしているうちに晩ご飯の時間になる。
大体、土曜日はいつもこんな感じであっという間に一日が過ぎていく。疲れてふと寝てしまうと、やりたいことが何もできないまま夜になってしまうこともある。
ちなみに外食へ行く日は、おかずの買い物、洗い物や片付けなど家事が減るので助かる。外食、結構好きです。
毎朝のルーティーンワークは洗濯、洗い物、片付け、風呂掃除(二日置き)。燃えるゴミは火曜と金曜日、新聞雑誌と段ボール古書類は水曜日、不燃ゴミは毎月第一と第三月曜日に出してからアルバイトに出かける。
毎日の天気を気にするようになってくる。やはり主婦ならぬ主夫。洗濯物を外に干すかどうかは直感を信じる。空模様が怪しい日は心の声を信じるが、実は母に「今日は部屋の中に干した方がいいよ」と助言してもらっているような気もする。
一日の仕事を終えて帰宅すると、仏壇でお参りする。今日あった出来事を報告する。「今日も見守ってくれてありがとうね」と、感謝の想いを声に出して伝える。
こうして朝晩のお参りをして落ち着く。
夜の食事を終えると、洗い物と片付け、洗濯のたたみ、ゴミ出しなどなど家事が待っている。風呂から出て、溜まった録画番組を一つ見る頃には夜も遅い時間になっている。自分の部屋に上がってパソコン前に座ると、すぐ強烈な睡魔が襲ってくる、というか寝落ちしてしまう。家事は慣れても疲れる。
こうして毎日を過ごしていると、あらためて母の偉大さに気づく。家事は分担しても大変なのに、母は今まですべて一人でやって来た。家族のためにと頑張ってやってくれていたのだ。家事に休みなし。あらためて母親というのは本当に凄い。まさに母は強し。心から尊敬する。
ほんの小さなことでも、いつも母に見守られていると感じて感動する。
忘れそうな買い物を思い出させてくれたり。生協から出ると目の前の信号がいつもタイミングよく青になっていたり。
父と出かけてバス停に向かうとタイミングよく間に合って乗れたり。バスや電車に座ることができたり。
雨がぽつぽつ降って来て、家に入った途端にザーッと強い雨になり、濡れずにすんだり。離れの二階の部屋に入った途端、どしゃぶりの雨が降って、これも濡れずに助かったり。
映画の舞台挨拶を観に行き、時間ぎりぎり走って滑り込みセーフで、しかも全席指定席の最期の一席が取れたり。
朝の目覚まし時計が鳴らず、でも起きれたり。
お酒飲んで酔っ払って帰った夜。酔いながらもできるだけ家事をやってから寝る。酔いすぎて玄関で眠ってしまったり、風呂場や脱衣所で眠ってしまったり、お茶の間と台所の間の敷居の上で眠ってしまったり・・・と、いろんな所で眠ってしまう夜もあり。酔って眠っても、ふと目が覚めるのは、風邪を引かないようにと母が起こしてくれたと感じたり。
この日は晴れてほしいと願うと晴れたり。
会いたい人をずっと想っていると会う機会ができたり。
「今夜は外食したいなあ」と、思うと父や兄がご馳走してくれたり。
――これはとても嬉しい。
あらゆるすべてにおいて、母が助けてくれていると感じて、いつも感謝する。
命日や月命日、法事の日は大体いつも晴れる。晴れないまでも雨が降ることはほとんどない。ここぞという時にはいつも晴れる。晴れないまでも曇り。特に月命日は、家を出る時には雨が降っていても、お寺に着いてお墓掃除を始める頃には雨が上がったり、晴れにしてくれていると感じる。さすが晴れ女の母。
驚いたのは一周忌法要の日。朝から雨が降り、「さすがに今日は雨か・・・」と諦めかけたが、塔婆を立てる直前に雨が急速に上がって嬉しい驚き。お経上げが終わった途端、また降り始める。お参りした時だけ雨が止んだのだ。ここでも母に助けられたと感じた。たまたまの天候かもしれないが、家族みんなが母の優しさパワーを感じた。
何か助けてもらったと感じるたびに「お母さん、ありがとうね」と、母にはいつも感謝の気持ちでいっぱいになる。
母の存在がありがたい。
喧嘩して生意気に口答えした時は「親に向かって何その口の利き方は!」と怒られた。「秀郎は言っていることは合っているんだから、言葉使いに気をつけなさい」と言ってくれた。
母がいない今、日常で言葉使いが悪くなっていると気づくと「あ、今の言葉使いは(お母さんに)怒られるな。ごめんなさい。気をつけます」と心の中で母に謝る。
悪いことは悪いと、ちゃんと叱ってくれた母の存在がありがたい。僕の大尊敬する北野武さんも同じく「怒ってくれる、そういう母の存在がありがたい」と『ファミリーヒストリー』(NHK)で話されていた。
「これをしたら怒られる」「これはやったら悲しませてしまう」と気づくのは母の育て方のおかげ。お天道様が見ているように、母が見ている。そうそう悪いことはできない。誰もいない時でも悪いことはできない。母を悲しませるようなことはできない。母に恥じない生き方をしないといけない。正しく生きること。胸を張って歩ける生き方をしないといけない。
母に大切なことを教えてもらえた。気づかせてもらえたことがたくさんある。最後の最後まで諦めずに頑張って生き抜くこと。何気ない日常の幸せ。今ある幸せを大切に。家族を大切に。思いやりを大切に。
これからも正しい道を歩んで行こう。自分の心が気持ちの良い生き方をしよう。そう気づかせてくれた母に心から感謝。母の想いを大切に、前向きに明るく楽しく自分らしく、より自由に、より強く生きていこう。自分を信じて。
あとは素敵なパートナーと出会えますように。
――これは自分で頑張ります!
母と過ごした日々に幸せを感じて。いつも見守ってくれている母に心から感謝。
お母さん、ありがとう。