ちょっとだけ“秀でた世界” -27ページ目

ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第三章 

第79話 普通の会話 普通の生活

 

2011年1月29日

サッカー日本代表・アジアカップ優勝。母と喜んだ。

 

 

 サッカー界の「キングカズ」こと三浦知良選手は母と同郷の静岡県出身。母も僕も応援していたカズ選手がバリバリ活躍していた頃から、日本代表の試合を母と一緒にテレビで見ていた。特にワールドカップのアジア最終予選は家族そろって力を入れて見た。日本がゴールをあげると「よっしゃー!」と家族みんなで両手を高く上げてハイタッチ。試合に勝てばまたハイタッチ。

 プロ野球は家族それぞれ応援するチームが違うが、サッカーはみんなで日本代表を応援した。

 

 

 2011年1月29日の夜

 サッカー日本代表はアジアカップ決勝でオーストラリアと対戦。テレビ中継は深夜。母も健康なら一緒に見ていたはずだが、体のためにも早めに奥の部屋で休んでいた。

「(テレビの)音、出して良いからね」

 せっかくの決勝戦。深夜だが、茶の間でテレビの音を出して見ていいと母が言ってくれた。母と一緒に決勝を見たかったが、三兄弟でテレビ観戦。音量は小さく出して。

 

 

 試合は緊張感のある展開が続いて、両者無得点のまま延長戦に突入した。母は以前から眠りが浅く、試合が始まってからも眠れず、トイレに起きて部屋へ戻っても眠れない様子だった。

 

 延長の前半でも点が入らず延長後半へ。左サイドの長友選手がドリブルからゴール前へクロスをあげると、ゴール前で待っていた李忠成選手が左足でボレーシュート。ポストの左隅にボールが突き刺さった。スーパーボレーでのゴールに僕らは大喜び!日本中が大喜び!

「よっしゃー!」

 と、大声は出せないので、気持ちだけ大興奮して、声は出さずにサイレントガッツポーズ。兄たちと静かにハイタッチ。その様子に気づいたのか、母が起きてきた。

 

 

 黄色いパジャマ姿が可愛らしい母。その上から暖かい毛糸の上着を羽織っている。

「どうなったの?」

 眠そうな目の母が聞いて来る。

「日本が勝ってるよ!凄いゴールで!」

 すぐにゴールシーンのリプレイが始まる。

「ほんとだ、凄いね!」

 と、喜ぶ母。

「お母さん、イエーイ!」

 母と両手でハイタッチ。一緒に喜べて嬉しい。

「あと何分あるの?」

 経過が気になる母。

「今、延長の後半だからもうすぐ終わるよ」

「どうせ眠れないし。じゃあ、ちょっと見ちゃおうかな」

「一緒に見よう。優勝まであとちょっとだから」

 母は椅子に座り、こたつに足を入れる。勝利の瞬間を一緒に見守る。

 

 

 間もなく試合終了。日本が延長戦を制して1対0で勝利。アジアカップ優勝。

「お母さん、イエーイ!」

 僕ら三兄弟、順番に母とハイタッチ。

「お母さん、凄い良いタイミングで起きて見れて良かったね!」

 

 

 こういう何気ない普通の会話ができるほど嬉しいことはない。病が治ったわけでもなんでもないのに、母とのふとした会話ができる喜び。一緒に生活できる幸せ。とても嬉しくありがたい。

 

 もしかしたら以前のように、母と普通の生活に戻り始めているかのように思えてくる。毎日気をつけていれば、寒さ対策を万全にしておけば、これからも普通に母と暮らせるのではないかと。入院中に願っていた母と家での生活ができる幸せ。日常生活を普通に過ごせるありがたさ。

 

 

 ここ最近は母が少し咳をしているのが気になるが、見た感じ体調も安定しているようだし、大丈夫だろう。

 

 

 明後日の月曜日に、また定期検診がある。咳もその時に診てもらえる。

――また薬が一つ増えたらお母さん大変だろうけど、きっと大丈夫。

 

 

 そう、きっと大丈夫。そう思っていた、この日までは。

 

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第三章 

第78話 一緒に帰れた夜

 

2011年1月29日

Bunkamura「モネ」展

 

 

 2011年1月29日

 原宿の美容室で髪を切った後、「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催中の「クロード・モネ展」を見に渋谷へ移動した。

 

 

 15時すぎに美術館へ到着すると、次兄からメールが来た。

「お母さんの熱が37度あり。少し心配」

 美術館へ入る直前に返信をした。

「この病気は熱が高くなるのが仕方ないと先生も言っていたから、大丈夫だと思うけど。少し様子を見てね」

 体温のことが気になったが、たまに熱が高い状態が続いても大丈夫だった。展覧会を見終わってからすぐ帰れば大丈夫だろうと思っていた。

 

 

 モネの絵が好きで見に来たかった。母の病のこともあり、行くのを控えていたが、ここ最近は体調が安定していたので、展覧会の終了が迫っていたこともあり、見に行くことを決めた。

 

 モネの「日傘の女」を見て感動した。他にもいつくかモネの絵を見て楽しんだ。絵を見ている時に携帯のバイブが鳴った。メールが入ったのは分かったが、美術館を出てから見ようとそのままにした。

 

 

 17時過ぎに美術館から出てメールを確認すると、次兄からだった。

「お母さんの熱が37.5度に上がって心配なので、今からお父さんと病院へ行ってくるよ」

 さっきバイブが鳴った時のメールだった。メールが入ってから40分ほど経っている。急に不安が込み上げてきた。さっきその場でメールを見ていたらすぐ帰ったはずなのに・・・。母に申し訳ない気持ちになった。

――とにかくお母さんのもとへ早く行こう!

 次兄へメールを打つ。

「了解!今から渋谷から病院へ直行するよ」

 

 

 油断したわけではないが、ここ最近は安定していた母を見てどこか安心しきっていた。だから大丈夫と思い、つい展覧会を見に来てしまった。いつどうなるか分からない病と分かっていたはずなのに、母をおいて自分の趣味を優先させてしまったことを悔やんだ。メールが来た時点で読んでいたら・・・。

――すぐに読めばよかった。お母さん熱が出て不安だろうに・・・。絵なんか見に来ないで、お母さんのそばにいてあげれば良かった・・・とにかく急ごう!病院へ!

 

 

 渋谷から病院の最寄駅までは地下鉄で行くのが一番早い。渋谷の街の人並みが、なかなか先に進ませてくれない。気持ちばかり焦る。走りたいのに走れない。人をかき分けながら足早に歩こうとするが、足元がついていかず上手く歩けない。

 

 ようやく渋谷駅の地下鉄までたどり着く。移動中の電車の中でも、母のことがずっと心配だった。

――37.5度か・・・。それ以上、熱が上がっていないといいけど・・・。

 不安で仕方なかった。

 

 

 病院の最寄駅に着く。地下通路から地上へ出ると辺りは暗くなっていた。病院へ急いで向かう。次兄からのメールを読み返す。

「一般外来が終了しているので、救急の方に来ているよ」

 救急と聞いて余計に不安になる。

 

 

 病院へ着くとすぐに救急の処置室へ。廊下のソファに座る母を見つけてホッとした。隣に父と次兄が座っていた。

「お母さん、大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっと熱が出ただけだから。来てくれてありがとう」

 母が喜んでくれて嬉しかった。

 次兄が、

「俺の言った通りでしょ?秀は絶対来ると思ったよ!」

 と、嬉しそうに言った。

 

 

 後で次兄に聞いたら、母が秀郎ひでお来てくれるかな?」と不安げに聞いてきたという。

「秀は来るよ。お母さんのことなら絶対来るよ!」

 次兄が母に自信を持って答えたという。

 母が「来てほしい」と願ってくれたと思うと、とても嬉しかった。

――間に合って良かった。

「今は何待ち?」

 状況を知りたかった。既に採血を済ませて診察を待っていた。この日は偶然にも主治医のI先生が病院にいたので診てもらえることになった。

 

 

 マスクをして毛糸の帽子を深く被った小柄な母。診察を待っている姿が何かとても可愛い。母と会って話せて少し安心したが、やはり熱が出たことが心配だった。

 しばらくするとI先生に救急の処置室まで来てもらえた。みんなで処置室へ入る。

 

 

 採血の結果、体温については高いが問題ないとのことでホッとした。ただ体調の調整の為、また一つ新しい薬を増やされた。薬を飲む母からしたら「また増えた」と思っただろう。でも、それで命が助かるのなら頑張って飲んでほしい。

 

 

 診察の度に、いつ「入院です」と言われるか怖い思いをしていた。

――良かった~!このまま帰宅できる!

 ホッとして嬉しかった。

「先生がいてくださって良かったです!本当にありがとうございます!感謝いたします!」

 I先生に心から感謝の気持ちを伝えた。

 

 

 四人でタクシーに乗って帰る。真っ暗な夜の道をライトを照らし走るタクシー。谷中のヘビ道をくねくね走る帰り道。車内で母と話す。

「お母さん、I先生がいてくれて良かったね。ほんと凄い偶然だよね!」

――入院しないで本当に良かった。

 

 今回ばかりは入院を覚悟して不安になったが、母を連れて帰れる。そんな普通なことがこんなに嬉しいことはない。

 

 

 今でも覚えている。母と一緒に帰れて嬉しかったこの夜を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第三章 

第77話 おしゃれより大事なこと

 

2011年1月29日

原宿「marble」でカット

 

 

 2011年1月29日

 母が家にいることが安心感となり、この日は外出をした。原宿の美容室で髪を切り、そのまま渋谷へ移動して、「Bunkamura ザ・ミュージアム」で開催中の「クロード・モネ展」を見に行こうとしていた。

 

 

 実はこの日、母は久々に美容室で髪を切り、入院中には出来なかった髪の毛を染めるはずだった。母が美容室へ行く時は付き添いで一緒に行こうと決めていたが、母は数日ためらって、なかなか美容室の予約を取らなかった。

 

 母がいつも行っていた美容室にようやく電話で予約をして、一緒に行こうとしていた当日。

「美容室はまた今度にするよ。もう少し(体調が)安定してから」

 母は美容室へ行くのをやめた。迷った末に決めたことなのだろう。断りの電話を入れる母。

「すみません、ちょっと体調がすぐれなくて・・・。また今度お願いできますか?」

 

 

 とても残念だった。カットして髪の毛を染めれば、気分もリフレッシュできて良いと思っていた。身だしなみは気分を上げてくれる。元気になってくれると信じていたから。

 

 

 おしゃれな母にとって、美容室を断ったのはとても寂しい思いをしたはず。理由は分かる。母は病になってから家族以外の人とは会いたくないという気持ちになっていた。自分の弱った姿を見られたくないと考えていた。でも、母は痩せたように見えないし、見た目の印象も以前と変わらない。大病を患っているようにも見えない。

 

 

 でも本人にとっては体が弱くなることで気持ちも弱くなり、病院とは違う健全な人たちが集まる美容室へ行くことに抵抗を感じたのかもしれない。

 美容師さんから「お久しぶりですね。どうされていたのですか?」と、答えなくてもいいことを聞かれるかも?と考えただけで不安になり、嫌になってしまったのかもしれない。

 

 

 入院中は毛染めによる体への影響を不安に感じた母。体のために染めるのをやめていた。この日も体への影響を考えて美容室をやめたように思う。それなのに僕は自分の髪を切りに行こうとしていた。母に申し訳ない気持ちになった。

「お母さん、本当に美容室へ行かなくていいの?」

「まだ体調が落ち着かないし、また今度にするよ。気にしないで大丈夫だよ。秀郎ひでおは行っておいで」

 

 

 その後は最後まで美容室に行くことが出来なかった母。今思い出しても、せめて髪を染めさせてあげたかった。でも母は自分のおしゃれよりも大事なことを選んだ。それは少しでも体調を安定させて、できるだけ長く家族で一緒に暮らすこと。その思いに嬉しくもあり、髪を染めてあげられず切なくもあり。

 

 

 それでも母の選択は正しかった。自分のためだけでなく、僕たち家族のためを想ってくれたのだから。やはり一番大事なのは生きること。

 僕たち家族の思いはひとつ。少しでも長く生きてほしい、ただそれだけだった。母も分かっていたからこそ、少しでも体に害があるかもしれない毛染めを断念したのだ。

 

 家の中で母の白髪を気にする人はいない。外に出る時は帽子を深く被ればいい。

 

 母が少しでも長く生きてくれる。それだけで嬉しいのだから。