おにぎり先生、
こんにちは。

信頼関係の奥深さを
改めて実感すると同時に、

僕が信頼関係を結べていると思える人たち
と歩んで来たこれまでを振り返りながら
感謝の気持ちが沸き起こっています。


気遣いと聞くと
相手への思いやり、自分なりの誠意
がまず思い浮かびます。

同じような価値観を共有出来る人たちとの
コミュニケーションにおいては
自分なりの誠意が
相手へ思いやりとなって伝わり
ある程度の関係を築くのはスムーズだ

と思っていますが、

価値観が多様化する社会変化の中では
相手への思いやり、自分なりの誠意
もより明確にポイントを抑えなければ
という必要性に駆られることが少なくありません。

ここを考える上で、
「自立」と「貢献」への意識
というおにぎり先生のアドバイスを目にして
ハッとさせられる思いがしました 目


馴れ合いでは無く、
それぞれ自立した意識の下で作られる関係

そんな人たちがエネルギーを注ぎ、
社会へどんなメッセージを送るのか

信頼関係を確認するときの
気遣い
にはこんなバックグラウンドが広がっているように
感じられた次第です。

ひー


ひーくん

おはようございます。

私はおにぎり先生です。

信頼関係の確認について

理解・気遣い・深めたまう
のお話を先日させて頂きました。

2ndステップである気遣いは

相互の理解の上に成り立つものであることを
既にご承知くださっていることと思います。

この気遣いというものに触れるとき

おにぎり先生は以下2点への意識を
怠ってはならないと考えています。

それは、

「自立」 と 「貢献」
です。

 自立とは、

 
 自分自身の人生の舵取りは
 自分自身の心構え次第で決まる
 
 という、言わば責任の自覚です。

 貢献とは、 
 
 自分自身の人生を
 どこへ向けて舵取りして行くか
 
 という、言わば方向合わせです。


自分自身を社会へ役立たせようとして
行った行為が思い通りに行かないとき、

自己を省みるより先に
別な何かに原因を追究しようとする
ことがあります。

この様なスタンスの場合、
自らの力で成果を上げることは出来ません。

仮に思い通りに行ったとき、

よく言えば臨機応変な依存であり
一つのコミュニケーション
とする見方も出来ますが、

周囲の人たちとの信頼関係を考えたとき、
そこに自立と貢献の意識が
あるのかないのかでは
関係の深まりに
大きな隔たりが出るのではないでしょうか。


「自立」、「貢献」
などと言葉にすると
やや堅い印象を受けることがありますが、

これは
押し付けでもなければ
決め付けでもありません。

私たちが活動する社会全体を
出来る限り広い視野で漠然と思い浮かべ、
その広い世界に自分自身を寄り添わせたとき

おにぎり先生は
お日様の光に照らされたような感覚
になることがあります。

そこへ、信頼関係の確認を行いたい他者が
同時に存在したとき

大変多くの人たちが活動するこの世の中で
特定の他者とつながる奇跡
に心動かされるものです。

その他者を気遣い信頼関係を築こうとするとき
上記の「自立」、「貢献」
の概念が浮かび上がって来るのですが、

ひーくんにとってはいかがなものでしょうか?

おにぎり先生より




おにぎり先生、
こんにちは。
早いもので、もう3月です!!

さて、
本当の僕の姿(自分軸)
日常生活の中で自覚している自分像(表の僕)
この2つを自分の中で感じることで、

漠然とですが本来の自分らしさ
のようなものがイメージ出来たように思います。

これまでおにぎり先生から
自分自身と向き合うためのヒントを
いくつも頂き、
そのたびに色々と考える機会を持てて来たことに
改めて感謝しています。

ただ、
本来の自分らしさについては

 こういう時、どんなことを考えているか?
 どんな行動に出ているか?
 結局のところどうだったか?
 など

これからも自分自身に問い続けて行く
必要がありそうです。
まだまだ、時間がかかりそうですね。



> 私たちの生ているこの社会の発展は
> 複数の人たちの結束により実現するものです。
>
> 信頼関係ほど強い
> 社会発展のアクセルとなるものを
> おにぎり先生は他に知りません。

→僕も同感です。

技術の進歩により
毎日のように便利なモノやサービスが
産声を上げていて、

人々全体はこの流れについて行けているのか?
人が作ったモノを人は使いこなせているのか?

こんな疑問を抱いたことがこれまで何度もありましたが、
こんなことをいくら考えていても心は晴れません。

自分自身を理解し、周囲を理解する姿勢こそ
忘れてはならない信頼関係の肝になりますね。

ひー