最近ずっと力を入れてやっていた、AIを使って「家系図を作る」という本が完成しました。
まあまあ苦労しました。
AI使用が基本になっているのでAIにキレ散らかしてパソコンに向かって怒鳴りつけたり、パソコンディスクを夜中にバン!て叩いたり、諦めて酒を飲み始めたり。
1回や2回ではありません。酒は関係なく飲みますがw
そんな困難を経て、やっと完成しました。
URLはこちら。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0GSR6B5XR
ぜひぜひ。
たくさんの人に試してほしいので、ここだけでもつくれるようにざっくりと流れをお伝えします。
■ 家系図作成のざっくり手順
この本の内容をまとめると、やることはこれだけです。
① 戸籍を取得する
② OCRでテキスト化する
③ 人物ごとに整理する
④ PersonIDを振る
⑤ 父ID・母IDを紐付ける
⑥ 直系を抽出する
⑦ 家系図として整理する
■ 最初にやること(重要)
まずは戸籍を1通取ってみてください。
これをやらないと何も始まりません。
逆に、ここまでやれば半分終わりです。
■ 注意点(ここで止まりやすい)
・同一人物の重複
・名前の揺れ
・読めない文字
・父母不明
ここは必ず詰まります。
それが正常です。
本気で切れそうになります。
でもAIがサポートしてくれます。
実際に使ったプロンプトはすべて以下で公開しています。
そのままコピペで試せます。
https://00m.in/EbATj
でも戸籍がないと何も始まりません。
そこからです。
ちなみに、直系を辿った図と、家系図と、それらデータをもとにした一族史をつくりました。
全部戸籍とAIでできます。
僕自身についての3点セット、参考までに紹介します。
もちろんすべて仮名です。
僕は144の田中大輔です。仮名はAIが勝手に割り振りましたが、本名ともPNとも一文字もかすっていませんw
簡易版なので名前だけですが、エクセルデータで名前と付け合わせれば誕生日、本籍地などと付け合わせ出来ます。
ちなみにこの図の初代になる長吉は天保3年生まれでした。
直系図

家系図

一族史
この一族の記録は、万延・文久・天保生まれの世代から昭和後期まで、複数の家をまたぎながら続いている。起点人物であるPersonID144の田中大輔は、父138田中恒一、祖父164田中恒一郎、曾祖父1田中貞夫へとつながっており、戸籍上は近代の地方社会の中で家が継承され、婚姻・養子縁組・分家を繰り返しながら続いてきた流れの中に位置している。
田中家では、1田中貞夫が2佐藤長吉・3マサの系統にあり、家督相続の記載も見える。その子どもたちには5恒一、6ハル、7恒一郎、8君太郎、9数之助、10義男、19泰一が並び、婚姻や養子縁組、分家の届け出が重なっている。戸籍からは、家を残すことと、子どもたちをそれぞれ別の家や土地へ動かしていくことが、当時の家の運営にとって重要だったことがうかがえる。
その後の記録では、164田中恒一郎の戸籍が大きな節目になっている。164の子どもとしては、138田中恒一、166リツ、145・156・168の恒一、157・169のヤエ、158・171の千恵、167恒一、170等などが見え、同一名でもPersonIDが異なる別記録として残されている。ここでは氏名ではなく、戸籍の編製や再製、離脱や入籍の単位ごとに人物が現れていることが分かる。家督相続や一家創設、新戸籍編製の記載もあり、昭和期に入って戸籍のまとまり方が変化していった様子が読み取れる。
144大輔の父138田中恒一は、139洋子との間に140美咲、144大輔をもうけている。別PersonIDの142・146洋子、143・147美咲、148大輔もあり、婚姻や戸籍移動の過程で同じ実在人物が別の戸籍単位で記録されていることが分かる。ただし、ここでも同一人物判断はPersonIDでは統合せず、あくまで戸籍上の別記録として残る。144については、昭和四十三年に高松市で出生し、平成九年に婚姻届出により新戸籍が編製されて除籍されたことが明記されており、この時代になると生活の舞台が広島から香川、さらに横浜へと広がっている。
この一族には、田中家だけでなく、石川家・山本家・木村家の記録が密接に絡んでいる。149および154の清子は石川家由来の人物として記録され、田中恒一郎との婚姻によって田中家に入っている。石川家では20石川藤吉を中心に、24幸太郎、32フデ、35小次郎、37徳三、38進、48道則、50兼次、51一平、53アキヨ、55弥、56和三、57良夫、61マサコら多数の子が記録され、同時に従妹・甥・姪の入籍も多い。石川家の戸籍は、ひとつの核家族だけでなく、親族集団を広く抱え込むかたちで編まれていたことを示している。
山本家の記録では、74山本光次郎と75チエの子として、76キミ、77タケ、78魁蓮、79千代一、82ミツ、96清子、98清子が見える。ここからさらに95山本順次郎と96清子の家、また78魁蓮や79千代一の子世代へと枝分かれしている。分家独立や附添入籍の記載が目立ち、家が一つの場所に固定されるのでなく、届け出によって枝分かれしながら広がっていった様子が伝わる。
木村家では、121木村源次郎の系統が古く、124りことの間に125貞松、126サ、127源次郎、128岩太郎、129敏之助、130五義、131文二が生まれている。ここでも養子縁組や婚姻による出入りが多く、別家との接続が濃い。加えて、105木村辰一の系統や116木村清子の戸籍も現れ、同じ木村姓の中でも複数の戸籍単位が並立している。昭和の記録になると、大牟田市や広島市、さらに他地域への移動も現れ、生活圏が地方村落から都市へと広がっていく流れが見える。
この一族全体を通して見ると、戸籍の中心には常に「家」があり、その家を守るために家督相続、婚姻、養子縁組、分家、転籍、除籍が積み重ねられている。明治から大正にかけては、家を継ぐ者、他家へ入る者、養子となる者がはっきり記録され、昭和に入ると出生地や婚姻先、届出先が広がって、広村・呉・高松・横浜など複数の土地が現れる。起点人物144田中大輔は、そうした長い移動と継承の末に現れた一人であり、戸籍の行間からは、一族が時代の変化に合わせて形を変えながらも、記録のうえでは確かに連なり続けてきたことが読み取れる。