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考え中の人

 
いろいろ考えてみたり、
考え中の人のブログです。

半年に一回、営業部長と評価査定の面談があるのだが、ちょっと前の面談で、所長から営業におけるアドバイスをもらったことを覚えている。それというのが、「注文をもらったお客さんには一週間以内にお礼にいく」というものだった。聞いたときは、なるほどと思ったと同時に、効率が悪いのではと感じていた。

というのは、私の仕事は一人何十コースも担当しているので、効率的に営業していかなければ、注文の数をとってくることができない。なので注文がまだ来ていないところに、次々と訪問していかなければならない。そんなときに、すでに注文が来た場所にいくことは、非効率な活動に思える。

しかしだからこそ、そうした他の人がしないことをやるかとは効果的なのだ。お礼をいわれて嫌な気がする人はいないと思われ、さらに感謝されるとまた相手側も再び喜ばせたいと感じるものである。そうなれば、また注文したくなり、相手の自発的な行動を誘うことがてぎ、リピーターしてくれるのである。やってみると効果がある。
人にはそれぞれ特性があると思われるが、自分の話をすると、もしかしたらこれは良い部分かもと考えられる特性が、人の喜びを素直に喜べることである。それは家族や親しい友人というわけでなく、ある程度広い範囲の人達の分まで、喜びを感じ取れることができる。

この特性があることで、人を喜ばせることは自分の楽しみとなるので、行為のインセンティブとなる。これは仕事において大いに役に立つ。なぜならたいていの場合、こちらの素直な行動が伝われば、相手はそれに対して返報してくれるからである。

人によって得手不得手は必ずあるように思われるが、不得手に関しては最低限カバーできるようにして、代わりに得手を見つけて磨くことが、何をしていく上でも上手く対応する方法だろう。
よく聞かれる話だが、東大のような高学歴だとしても仕事ができないことがある。思うにそれは、実行力が足りないからである。問題を解決する能力があっても、それを実行することができなければ、与えられた課題は達成することができない。

仕事には二つの能力が必要だと思う。それは分析力と実行力である。分析力というのは、様々な条件から関係性を見いだし、的確な指針を見つけ出すことである。一方の実行力は、コミュニケーションの運び方や、モチベーションを保つ方法を編み出す能力である。

さらに言うと、コミュニケーションには、相手へ対応や空気の読み方以外に、自分自身の人格の問題もある。そしてほとんどの場合、それらが欠けていれば、相手が動いてくれないために、何も実行できないのである。
昨日スシローに食べに行っていたら、隣の席に60歳前後の男性が座っていた。その男性は、はまちか何かを食べたようで、その後に「このはまちは○○で、味としては××で、」とうんちくと評価を語っていた。これはまた、自分のことのように思えて、気恥ずかしくなったのだった。

相手に知識を教えようとして説明したとしても、それは自分の知識をひけらかし、自慢しているように捉えられることがある。それはどこか押し付けがましく、自分の自己顕示欲を満たしているだけとなっている。そうなった場合は、相手は嫌気を感じてしまう。

もし相手に役に立つ知識を伝えようと思うなら、前提として相手が知りたがっている知識だけを伝えるのがよさそうだ。さらに、それを知ることで効果があるのがよく、中途半端な知識である場合は、議論の材料にする時以外はやめたほうがよい。でなければ、知ったかぶりという、また別のレッテルを貼られてしまう。
家の近くにマクドナルドがあるのでよく行くのだが、昨日は随分大きな声でしゃべっている人がいたので、思わず耳がそちらに向いてしまった。話の内容はなんともベタベタな自己啓発のような話で、また抽象的だったので、聞いていて恥ずかしくなってしまった。

のだが、ふと気付いたことがある。これはまさしく自分を見ているようだ。これは直さなければならない。ただ、全ての抽象的な話が悪いわけではない。なぜなら、具体的な話ばかりでは、要点がわからなくなってしまうことがあるので、そんな時は抽象性を上げて話すのがよい。

抽象的な話をする場合に気をつけなければならないことは、その話の内容が本当にその人自身が得たものかどうか、ということである。抽象的な話というのは、誰でも語ることができるようになるので、どこからか聞いてきた話でも自分の話のように話すことができる。しかし、そのどこからか見つけ出してきた話は、うんちくを聞かされているようでつまらない。

それを見抜くには、質問を投げかければ、それに答えられるかどうかで、自分の思考かどうか、すぐわかる。