
人は判断を、合理的にではなく感情によって行ってしまうのは、人間行動を数値化した経済学をみても、プロスペクト理論や双曲割引モデルで証明されています。そして、そうした行動パターンは、個人であろうと団体であろうと同じであり、それはつまり、多数決といえど、それが正しい選択だという確証はどこにもないということです。
つまり、人はどれだけ公平な判断をしようとしても、個人の感情を排除することはできないことを示します。それでは、人が裁かれる裁判においては、どうして公正な判断ができるでしょう。そうした難題を解決したのが、法治裁判というルールです。
裁判の判断はいたって機械的です。何か問題が発生したときは、予め定めた「法律」という解決ルールに乗っ取って、処理されていきます。そうすることで、極力に恣意性を排除することを狙いとしています。
ところがです。ある事例に対してどの法律を適応するかは、それもまた人の判断です。さらに言うなれば、法律さえも作り出したのは人間であり、たびたび間違いも起こり得るのです。かつては、「子が親を殺せば何があろうとも死刑だが、その逆は死刑になりえず罪が軽い」という考えがまかり通ってたのは、奇っ怪な事例の一つでしょう。
しかしだからといって、法治裁判を越えるような、公正に判断する方法がありません。法治国家とは、できる限り公正に判断するための、人類の最大の発明なのです。