以前神戸大学に居たときに、
経営学者加護野先生の講義を受けたことがある。
そこで今でも覚えているのが、
「水槽の中の魚」の話だ。
まず水槽の中にいる魚に、餌をあげる。
すると魚は飛びついて餌を認識して食べる。
そこで今度は、
水槽をガラス板で半分に仕切って、
魚と餌を分けてしまう。
最初は同じように飛びついて餌を食べに行くが、
ガラスにぶつかって食べられない。
何度かチャレンジするが、
ガラス板が邪魔をするので、
次第に魚は餌の方に寄り付かなくなる。
それから、
ガラスの板をはずして餌をあげてみても、
魚は壁があると思い込んでいるので、
やはり餌のところには行かなかった。
ところが、ここで新しい魚を水槽に投入する。
もちろんその新参者は、
ガラス板があったことは全く知らない。
餌をあげると新しい魚が餌に飛びつくので、
前居た魚はびっくりする。
そこでようやく壁が無い事に気付き、
やがて前居た魚も同じように、
壁を意識しないで餌を食べにいったという。
社会は既に「見えない壁」がたくさん存在する。
それは、
ガラス板のように一見して見えないが、
確かに存在する壁もあれば、
壁は本当は存在しないのに
思い込みで作り上げている
壁モドキもある。
両者は実はよく似ており、
やはり壁にぶつかって学習した経験者は、
その壁の向こうに行こうとはしない。
それは恐怖かもしれないし、
無駄を排除しようとする
効率性の追求かもしれない。
もし壁の向こうに行きたいならば、
全く新しいパラダイムが必要だ。
今日の日本社会の大半の壁は、
年配の男性達が作り上げているものだ。
そこをブレイクスルーするには、
「若者」や「女性」という新しい存在が、
社会の成長には必要だ。
スポーツ界だけでなく、
今の閉塞的な経済界にも新風を切り開くのは、
オッチャン達ではなく、彼ら彼女らかもしれない。