最近、ふとした瞬間に心の変化を実感します。
特に、朝の車窓から秩父連山のゆるやかな稜線が見えたとき。
「あぁ、自分はやっと、ちゃんと呼吸できているな・・・」と。
自分は今年、自ら管理職を降りて担当職へ戻りました。
そして、都内の職場から地元の職場に異動しました。
世間では「降格=敗北」「キャリアの後退」と見られがちです。
会社でも“責任あるポジションを手放すのか?”という空気は確かにありました。
でも、実際に降りてみて気づいたのは――
失うものより、取り戻せるものの方がはるかに多いということでした。

名ばかり管理職の重さは、外からは見えない
管理職といっても、裁量も権限も与えられず、
人も足りず、判断だけ求められる「名ばかり管理職」。
・無限に積み上がる責任
・自分ではどうにもできない問題への矢面
・理不尽な評価
・助けてくれる上司、主任の不在
・丸投げされた40人の部下の相談は止まらない
・自分の時間はゼロ
・休んでも心が休まらない
・往復4時間の通勤
そんな状態が長く続けば、心や体を壊すのは当然です。
自分も例外ではなく、心身ともに限界を超えました。

降格したら、本当に楽になった
肩書を外した瞬間、驚くほど世界が変わります。
・朝の憂うつが消えた
・通勤時間がゆったり流れる
・夜、仕事のことを考えずに眠れる
・「怒られないための報告」から解放される
・人の顔色を読む癖が減った
・休日に心がちゃんと回復する
何より、
仕事が「罰」ではなく、また「仕事」に戻る。
これは本当に大きい。

降格は“逃げ”ではなく、“舵を取り戻す選択”
降格に対して、世の中はまだまだネガティブです。
でも、本当にそうでしょうか。
誰もあなたの人生を守ってはくれない。
会社は助けてくれるようで、実際には何もしないことだってある。
自分の体と人生の舵を取り戻せるのは、自分だけ。
**降格とは、
「自分の人生に責任を持つ」という、
むしろ一番“管理職らしい決断”**だと思うんです。

名ばかり管理職で苦しんでいる人達へ
もし今、
・毎日が苦しい
・休んでも回復しない
・自分が壊れそう
・でも降りるのは怖い
・周囲の目が気になる
そんな状態なら、どうか伝えたい。
降格は負けじゃない。
生き直すための、ひとつの選択肢です。
肩書はなくなっても、あなたの価値はなくなりません。
むしろ、肩書に奪われていた本来の自分を取り戻せます。
自分はそうでした。
そして今、秩父連山の稜線を眺めながら、心から思います。
「あのとき降りて、本当に良かった」と。
あなたの人生の主役は、あなた自身です。
どうか無理をしすぎないで。
必要なら、降りたっていいんです。

地元の職場に戻って穏やかな日々を取り戻した一方で、
僕が離れた都内の職場では、いま「退職ドミノ」が起きています。
あの場所で一緒に働いていた仲間たちが、次々と職場を去っていく――
そんな知らせが、ここ最近続けざまに届きました。
正直、胸が痛みます。
でも同時に、静かに思うのです。
「やっぱり、あの職場は僕ひとりで相当支えていたんだな…」と。
改めて振り返ると、
問題の矢面に立ち、部下のフォローをし、
トラブルを引き受け、
理不尽な指示のクッション役になり、
人間関係の火消しまで続けていたのは、ほぼ自分でした。
その頃は気づかなかったけれど、
自分が抜けた途端、何もかも一気に崩れ始めたという事実が
“どれだけ無理をして現場を支えていたか”を物語っています。
僕が特別すごかったわけではありません。
ただ、
「自分が壊れるレベルで頑張っていた」
というだけの話です。
そして今、その代償として同じ場所で働く仲間が順番に潰れていっている。
これはもう、個人ではなく“職場の構造そのもの”の問題なのだと思います。
でも、だからこそ言いたい。
無理をしてまで支える必要はない。
あなたが壊れたら、職場は代わりを探すだけ。
でも、あなたの人生の代わりはどこにもいない。
僕が降格して救われたのは、
責任を他人に投げたからではなく、
自分の人生を守る決断をしたからです。
都内の仲間たちにも、名ばかり管理職に苦しむ人たちにも、
どうか無理せず、必要なら「降りる」という選択肢を持ってほしい。
今の僕は、秩父連山の稜線を眺めながら、
あの日勇気を出して降りた自分に、心から感謝しています。