こんばんは😊
今日も1日お疲れ様でした
連休2日目は家でのんびり過ごしました
昼過ぎに思いったたように着替えて家の近所をランニングしましたが、それ以外は部屋で過ごしました

葉室麟さんの「潮鳴り」
時代小説と言えば僕の場合はコレですね

これが無いと登場人物の関係性がわからなくなります。◯◯右衛門がひとり、ふたりと増えてくるともうわかんないって笑 これ以上◯◯右衛門を増やしたくないからこの時ばかりはお茶の伊右衛門は選ばないようにしてるとかしていないとか、えぇえぇ。
潮鳴りとは、海の波が岸に打ち寄せたり引き寄せたりする波の音の事だそうです
作中に出てくる主人公のまわりには、過去に過ちを犯しその罪を背負って生きる者がおり、海のそばにいると時折聞こえてくる潮鳴りが失ったものの泣き声のように聞こえるのだ、と。
主人公の櫂蔵は元は俊英と謳われた武士でありましたが、商人との諍いがあり失脚。お役御免となり屋敷を追われ、住むところもなくなり襤褸蔵とまで言われるように落ちぶれてしまっていたのですが、弟である新五郎が職務の責任を取るため切腹をしたことを知ります
落ちた花は二度と咲くことはない
そんな風に周りから言われてしまっていた櫂蔵の冷え切った心に小さな炎が灯ります
しかしこの切腹、何かがおかしい。弟は本当に切腹をしなければならなかったのか、そんな疑念を抱いていた折、櫂蔵に再度出仕の催促が届く。
落ちるところまで落ちた己のため、亡き弟のためにもう一度立ち上がる。
僕はこの小説を読んで、生きるとはどういう事なんだろうと改めて考えさせられました。
人は一人では生きていけない、うん。それはそうです。誰かの力無くしては生きていけません。
それと同時に、誰からも頼りにされず、誰からも思い出してもらえず1人で生きる。これほど辛いことは無いのかもしれないなって。生きるということは、自分のために生きているのだけど、誰かの役にたつために生きてるんだなと僕はこの本を読んで思いました
ほんの小さな行動でも、それが見ず知らずの誰かを幸せにしているのかもしれない。そう思えたら、毎日がほんのちょっと誇らしいものになるんじゃないかなと
人に対しても自分に対しても誠実であれば、何度でも立ち直れるんじゃないかなって。そんな気持ちになりました
ネタバレになりますが
最初に潮鳴りは、誰かの泣き声に聞こえると書きましたが最後は潮鳴りは実は、誰かの泣き声ではなく、いとおしい人の囁きだったのではないか
そう締めくくっておりました
葉室麟さん、やはり大好きな作家さんです
良い休みになりました。素敵な作品を読ませていただきありがとうございました
さて、これで安心して伊右衛門を飲めます笑
ではでは(^^)/