こころとからだとスピリチュアルな話

こころとからだとスピリチュアルな話

私が得たスピリチュアルな気づきをもとに、心と身体、人生の目的などについて書いています。

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身体である自我は、自己中心的な愛である(自分を基準とする)相対的な愛をもとに行動します。

 

自分が快適であるように、自分の欲求を満たすために。

 

そのとき、身体(頭、自我、エゴ)が私になります。

 

これまで何度か書きましたが、それは悪いことではありません。生理的に必要な欲求はそうして満たされるべきだからです。

 

しかし、そのままであると、身体は生理的な範囲を超えて、快適ばかりを求め、欲求を満たすことばかりを求めるようになります。

 

そして、それが叶わないと不満を感じ、怒り、イライラしたりします。また、身体は自分と他を分け、他が自分の思う基準(普通、一般、平均、優秀など、自分が(身体が)決めた自分中心の相対的な基準)に入っていない他を良く思いませんが、こうあると「良く思わない」を超え、不満を抱き、嫌い、批判したり、蔑んだり、文句を言ったり、反対に嫉妬したり、羨んだりします。

 

また、そうあると、お金も自分のためだけに、欲求を満たすためだけに使います。

 

そうあっても、誰かに何かを買ってあげたり、募金したりすることもありますが、それもやはり自分の体裁のため、すなわち自分のためであり(見返りを求めます)、その額はその人(身体)の収入からみれば痛くもかゆくもない額です。

 

そうしたお金の使い方は相対的な愛の表現です。悪いことではありませんが、豊かになることはありません。

 

 ※ この場合の「豊か」とは、心に貯金された幸せとか喜びのことです(心が感じたことです)。

心が感じた幸せとか、喜びは心に貯金されます。それが心にたくさん貯まれば、心がそれで豊かになり、何があってもそういられるようになります。またその人からそうしたものがあふれ出すので、何をせずとも他のものにも強い影響を与えることになります(安心感を与えたり、信頼されたり、癒したり)。

 

自分以外のために使うのであれば(その人のためだけを考えて、自分に使うのと同じように使うのであれば)それは絶対的な愛の表現です。

 

災害に遭った方、動物保護をしている方、何らかの原因によって毎日の食事が難しい方、何らかの原因により親兄弟を失い進学したいのにそうすることが出来ない方など、お金を必要としている方はたくさんいます。

 

そうした方への寄付もそのように、自分に対してお金を使うようにするならば、それは絶対的な愛の表現です。

 

心がしたいこと(経験したいこと)に対してお金を使うのもそうです(どこかへ行くという経験、何かをするという経験など)。

 

こうしたお金の使い方をしていれば豊かになります。

 

また、こうしたお金の使い方をしていれば、必要な分のお金は足りなくなることなく入ってきます。

 

この世は、そういう風に出来ています。

 

 

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ひらめき、直感、あることに気づく。

 

たとえば、「○○をしよう」などと、突然思い浮かぶ。

 

それをもたらせたのは、自分(心)である場合と、その心をガイドしている心(いわゆる守護霊)です。

 

※ それは、「今」に在り、心が私のときにもたらされます。

 

自分(心)である場合は、目覚まし時計のように「その時期が来た」ということで思い出されるものであって、ガイドからのそれは、その目覚まし時計に気づかないでいたか、それを無視していたために、ガイドがしらせてくれたものです。、

 

突然思い浮かんだそれは、生まれる前に自分で決めた人生(ストーリー)にあること。すなわち、するべきことであり、それをすることで、人生に何かしらの変化が生じます。

 

   ※ その変化は小さいもの、大きいもの、その場で起きるもの、しばらく時間が必要なものなど様々ですが、生きるべき人生を生きるために必要なものであることは間違いありません。

 

しかし、そのあとすぐに、

 

「そんなことをしても意味がない」、「時間の無駄」、「どうせ出来ない」、「なんでそんなことをしなければならないんだ」などと身体(頭)は言います。

 

そうしてもし、心が身体(頭)のそれに押され、「私」の主導権が身体(頭)に移り、身体(頭)が私になってしまったなら、突然思い浮かんだそれは実行されずに終わります。

 

     ※ 過去の記憶、未来の予測、想像、体裁や欲望などのもと、あれやこれや考えて思い浮かんだことは身体(頭)によるものです。

 

そのため、それをしたところで上手く行かないか、上手く行ったように思えてもあとで問題が生じたりします(その記憶、経験が問題となることもあります)。

 

突然思い浮かんだことの中には、普通に考えると(身体(頭)が考えて)、突拍子のないおかしなことがあります。

 

理屈に合わない、なぜ今?、どうしてそんなことを?、どんな意味が? などと(身体(頭)が思うことが。

 

でも、それはするべきことです。それがどんなことでもそうです。それをすれば、大なり小なり人生が動きます。

 

 

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仕事が楽しくない、辛い、やりがいがない、意味がないようなことをしている、嫌な上司や同僚がいる、今日はなんとなく気分が(体調が)優れない・・・・・。

 

そんなときは、「今」を捉えず(「今になく」)、、

 

もっと、楽しいことをしたい、やりがいのあることをしたい、意味があることをしたい、上司や同僚がこうであるなら、気分が良ければ・・・・・。

 

という思いのもと現在を捉えています(ここでいう現在とは、過去や未来、今以外の思いのもと世界を捉えている状態です)。

 

その状態のまましている仕事は、仕事に相対的な愛(自己中心的な愛)が表現されます。

 

簡単に言えば、嫌々やっているので、仕事のクオリティは低く、美しく仕事をすることが出来ません。

 

美しく仕事をする、とは仕事を(求められることを(するべきことを))心が私となってする。すなわち、「今」に在り、その心が表現出来ることを表現することでそれに当たるということです。

 

心は絶対的な愛。その表現はどんなものであっても美しいです。

 

「今」に在れば、心が私になるので、それは何をせずとも表現されます。また、そう在れば、それにもとづく個性を(性格や能力を)表現することが出来ます。

 

「今」に在り、仕事をする。そうすればそれらが表現される。

 

具体的には、目の前のことを受け入れ、事に当たる。

 

失敗しても、あまり成果が芳しくなくても、その反省が終わったなら、再び「今」に。

 

※ 失敗や成功、成果の良し悪しは、それらの表現を高めるためのもの。そこから学び、再び「今」に在りそれらを表現する。それだけです。

 

合わない仕事でも? 理不尽な仕事でも? 過酷でパワハラを受けるような仕事でも?

 

「今」に在れば、気づきます。

 

そうした中、心が何を表現するべきか(どうあるべきか)。 美しく仕事をするためにはどうすれば良いか(ここで出来ることは? ここで仕事を続けるのか? 他へ移るのか?)。

 

過去の記憶、未来の予測、想像のもとそれらの答えを導き出そうとしても、今以外のことをもとそれらの答えを導き出そうとしても、往々にして上手く行きません。なぜなら、それらは身体(頭)が考えた結果だからです(身体(頭)は自己中心的な考え方しか出来ません)。

 

心は行き先を知っています。「今」に在れば、そこへ向かいます。

 

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強い「思い」は形を成し生霊となりますが、それは、誰かに対するものではなく、自分自身に対する強い「思い」によっても作られます。

 

たとえば、深く強い悩み、強い恐怖や強い悲しみを感じている、などの場合です。

 

 もし、そうしたものを(強い思いを)持ったままその人が亡くなればその生霊はこの世に留まります。それがいわゆる幽霊です(幽霊の中には、身体がないのに(亡くなったのに)あの世に帰らずこの世に留まった心もいます。なぜ帰らないかといえばこの世に執着があるからです。でも、これはそれほど多くありません。このことはいずれ詳しく書きます)。

 

 この世に留まった「思い」は、同じような「思い」を持つ人に引き寄せられることがあります。

 

 たとえば、「Aさんのことあまり好きじゃない」というBさんの「思い」は、「Aさんとは合わない」とBさんと同じような「思い」を抱いているCさんに引き寄せられ、また、Cさんのそうした「思い」もBさんに引き寄せられます。

 

そうしてBさんとCさんのもとの「思い」が強化され、どちらもAさんのことが「嫌い」(強く)になります。

 

そうしたことから、BさんとCさんのその「嫌い」という「思い」は、正しいものではありません。それには理由が二つあります。

 

その一つはBさんもCさんも、Aさんも「思い」が強化され、そう思ってしまっているからです。

 

※ これは誰かを、「好き」という「思い」、誰かを、「すごい」という「思い」もそうです(それらの「思い」は大なり小なり嫉妬、妬み、羨望、自己卑下の「思い」が含まれるので、ときにそうした思いに反転することがあります)。

 

もう一つの理由は、BさんもCさんもAさんのことを、身体(頭)で捉えているからです。

 

身体(頭)が私で在ると、

(すなわち、「今」を捉えるのではなく、過去の記憶、未来の予測、想像、何らかのデータ(学歴、容姿、話し方、などなど)、相対的な愛(自己中心的な愛。すなわち好み)などによって、世界を見るということ)

 

そうした強化された「思い」を含む様々なバイアスがかかり、見ているものを正しく見ることが出来ません。

 

心が私で在ると、

(すなわち、「今」を捉え、「今」に在る状態。目の前は「今」だけ。一切のバイアスがかかりません)

 

身体(頭)が何を言おうが、見ているものを正しく(そのまま)見ることが出来ます。

 

すると、見えるのは身体が(頭が)どうあれ、そのものの心、すなわち絶対的な愛です(それと、それにもとづく個性です)。

 

心は誰も嫌いません。みんな個性的であるとするだけです。

 

心は比較することが出来ません。

(それぞれの心は一つの心(いわゆる創造主)の一部です。すなわち、それぞれの心は、一つの身体の手と足のようなもの。機能や役割が違う。心はそれぞれの心をそう捉えるため、比較することが出来ないのです)。

 

そのため、誰かが特別すごいとかすごくないとかも思いません(思えません)。

 

もちろん、嫉妬、妬み、羨望、自己卑下もありません。なぜならさっきも書いたように比較しない(出来ない)からです。

 

みんな素晴らしく、ユニークであるというように思います(もちろん自分も含めて)。

 

身体が私であるときに「嫌い」と思う人であっても、「この人は身体が私であるからこの人は自己中心的なのだなあ」と思います。

 

※ うろ覚えで恐縮なのですが、ある国の高僧のお弟子さん達が、政治的な 理由で迫害、拘束され、みなひどい拷問を受けました(もちろん無実です)。そのとき多くの方が亡くなったのですが、あるお弟子さんは無事解放され、次のようなことを言っていました。

「拷問を受けているとき、危うく拷問している人を非難しそうになった」と。

 

自分が思っていることが正しいのかどうか、「今」に在ればわかります。

 

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誰かについて何かを思えば、その「思い」はその誰かのもとへ届きます。

 

その思いがとてつもなく強ければ、思いが形を成します。

 

どのような形かというと、それは自分そのもの。

 

いわゆる、生霊です(それは形のない「思い」ではあるものの、集まることで形を成すため「思い」と違い、見える人には見えます。そのため、そう呼ばれます)。

 

憎悪、恨み、嫉妬、など、強い「思い」は、その「思い」を生じた人の意思とは関係なく、それが作られます。

 

生霊はネガティブな思いによって作られるだけではなく、誰かに対して、「つきあいたい」、「結婚したい」、という強い「思い」を生じた場合でも作られます。

 

つまり、ネガティブな思いであろうが、そうでなかろうが、強い「思い」であれば生霊が作られる、ということです。

 

生霊は強い「思い」の塊のようなものですから、それを作られた人はその強さに応じた不調が身体にあらわれます(それはなんとなく気分がすぐれない、というものから、死に至るようなものまで様々です)。

 

また、それを作った人(その「思い」を生じた人)は、前回説明した通り、その「思い」が身体に影響を及ぼしますが、それ以外に生霊の維持にエネルギーを使うことになるので(そうしようと思わなくても強い「思い」が生じている限りそうなります)体調の悪さはかなりのものになります。

 

身体が生じる「思い」は、誰かを元気にすることもあれば、傷つけることもありますが、生霊が生じた場合は傷つけるだけです。

 

それを作った人がその「思い」をやめない限り生霊はなくなりません。

 

生霊を作られた人がその影響を受けないようにするには、神仏の力を借りなければなりません。そうしたご利益のある神社やお寺に行ってお祓いをしてもらい、お札等を決まった場所に置くなどして対処をする必要があります。

 

続きます。

 

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