身体である自我は、自己中心的な愛である(自分を基準とする)相対的な愛をもとに行動します。
自分が快適であるように、自分の欲求を満たすために。
そのとき、身体(頭、自我、エゴ)が私になります。
これまで何度か書きましたが、それは悪いことではありません。生理的に必要な欲求はそうして満たされるべきだからです。
しかし、そのままであると、身体は生理的な範囲を超えて、快適ばかりを求め、欲求を満たすことばかりを求めるようになります。
そして、それが叶わないと不満を感じ、怒り、イライラしたりします。また、身体は自分と他を分け、他が自分の思う基準(普通、一般、平均、優秀など、自分が(身体が)決めた自分中心の相対的な基準)に入っていない他を良く思いませんが、こうあると「良く思わない」を超え、不満を抱き、嫌い、批判したり、蔑んだり、文句を言ったり、反対に嫉妬したり、羨んだりします。
また、そうあると、お金も自分のためだけに、欲求を満たすためだけに使います。
そうあっても、誰かに何かを買ってあげたり、募金したりすることもありますが、それもやはり自分の体裁のため、すなわち自分のためであり(見返りを求めます)、その額はその人(身体)の収入からみれば痛くもかゆくもない額です。
そうしたお金の使い方は相対的な愛の表現です。悪いことではありませんが、豊かになることはありません。
※ この場合の「豊か」とは、心に貯金された幸せとか喜びのことです(心が感じたことです)。
心が感じた幸せとか、喜びは心に貯金されます。それが心にたくさん貯まれば、心がそれで豊かになり、何があってもそういられるようになります。またその人からそうしたものがあふれ出すので、何をせずとも他のものにも強い影響を与えることになります(安心感を与えたり、信頼されたり、癒したり)。
自分以外のために使うのであれば(その人のためだけを考えて、自分に使うのと同じように使うのであれば)それは絶対的な愛の表現です。
災害に遭った方、動物保護をしている方、何らかの原因によって毎日の食事が難しい方、何らかの原因により親兄弟を失い進学したいのにそうすることが出来ない方など、お金を必要としている方はたくさんいます。
そうした方への寄付もそのように、自分に対してお金を使うようにするならば、それは絶対的な愛の表現です。
心がしたいこと(経験したいこと)に対してお金を使うのもそうです(どこかへ行くという経験、何かをするという経験など)。
こうしたお金の使い方をしていれば豊かになります。
また、こうしたお金の使い方をしていれば、必要な分のお金は足りなくなることなく入ってきます。
この世は、そういう風に出来ています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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