2022年8月14日、ついに60歳の誕生日を迎えることができました。
我ながら、よく生きながらえてこれたものです。
当日は、親しい皆さんにサプライズパーティーをしてもらい、なんともHappyなbirthdayでした。
幼少の頃に3度肺炎を患い、名古屋の病院では手に負えない状況となったそうで、小学校の春休みを利用して一週間ほど東京の某有名病院に入院して精密検査を受けました。太ももの付け根の血管からファイバーカメラを通して行なう心臓カテーテルや、各種レントゲンの結果、両親と共に100枚近いレントゲン写真や多数の心電図が四方の壁に張り付けられた部屋に呼ばれたのを覚えています。
「大きな手術をするか、しないか。手術をしなければ20歳までは生きられませんがどうしますか? ただし手術が成功する確率は50%ですよ」
それを聞いた母は涙し、父はしばらく黙った挙句、じっと僕の眼を見ていいました。
「お前の人生なんだから、お前が好きなように決めなさい」
おいおいおい!
7歳のガキに、生きるか死ぬかの決断なんて無理でしょ!
パニックに陥る自分に対し、父は、「手術を受けずに20歳までの命だと思って精一杯生きるか、生死の確率は50%だけど長生きできる可能性がある手術を受けるか、お前の人生なんだから、お前が決めなさい」と再び冷静に言い放ちました。
1週間ほど悩んだ結果、結論を出しました。
「手術は受けません」というのが、7歳だった自分の結論です。
「手術を受けて失敗に終わり、わずか7歳で人生を終えるより、せめて20歳まで生きていたい」と両親に説明しました。(今思えば、両親のほうがよほど辛かったことでしょうね)
それからというもの、常に人生は20歳で終わるという強迫観念にも似た深層心理のもと、好きなことには一所懸命に打ち込みましたし、興味のないことや嫌いなものには、まったく触りもしないという人生観で生きていました。
女の子に対しても、告白して振られるかどうかを悩む時間がもったいないので、アタックしてダメなら次(なんせ人生に残された時間がないと思っていたから)という感じで生きてきてしまいました。
それが功を奏したか、この60年間の人生は仕事もプライベートもわりと充実していたと思います。
子供の頃に憧れていたAUTOSPORT誌の編集長にもなれましたし、AS+F、F1 Racingの編集長も歴任しました。
お世話になった株式会社三栄書房では、常務編集局長や、関連会社である株式会社イデアの代表取締役、株式会社サンプロスの役員も務めさせていただきました。
子供の頃に夢見たF1マシンにも乗れましたし(ミナルディ、ベネトン、アロウズ、プロスト)、自動車レースにもいろいろ参戦できました(ユーノス&ヴィッツワンメイク、全日本スーパーF4、アジアF2000、フォーミュラ・フランス、アジアF3)。
A1 Team Japanのマネージャーとして、世界各国を回ったことも良い思い出です。
F1では、TEAM LOTUS JAPANの広報をやらせていただいたり、Benetton Japanの広報をやらせていただいたり、INDYでは、1戦だけですがレイホール・レーシングの広報を務めさせいただいたりもしました。
F1の取材にかこつけて世界各国を旅したし、趣味の車もポルシェ944、911カレラ、964(黒、ミッドナイトブルー)、993、996、メルセデスベンツC、500E、500SL、500Sカブリオレ、ジャガーXJS、フェラーリ348、BMW-6カブリオレ、ランボルギーニ・ガヤルドGT3、ベントレー・フライングスパー、マセラティ・グランツーリスモ等、振り返ってみれば満足なカーライフです。
幸いにも当時名医と呼ばれた医師の診断が間違っていたのか、その後の医療の進化で生きながらえることができたのか、それとも自分の生命力がゴキブリ並みだったのかはわかりませんが、とにかく町田、60歳です。生かされていることを皆さんに感謝しながら、また新たな夢に向かって邁進させていただきます。ありがとうございます。
ブログ読者の皆さんだけに、本邦初公開のちゃんちゃんこ姿です(笑)。一生に一度とはいえ、嬉し恥ずかしいものです(汗)。

