スネッタートンでの初優勝。
皆さんから沢山の温かい応援のメッセージを頂きました。
本当にありがとうございます。桜井孝太郎選手に代わって、お礼申し上げます。


本当にいろいろな意味で、勝てて良かったと思います。


GP3をメインに考えて動いてきたのを、あえてそれを1年遅らせて、今年はF3に集中するという苦渋の決断をくだしたのが開幕直前でした。

それをグッと飲み込んでくれた桜井孝太郎選手。
本当は誰よりもGP3が走りたかったはずです。

契約も交わしていたスポンサーが震災の影響で倒産したり、急遽契約撤回を言い渡されたり、海外のスポンサーも政治問題で揺れ動いたりと、開幕直前に吹いた逆風は、予想を越える厳しさでした。

でも、今の段階で最も大切なことは、もしどっちつかずになるのであれば、F3で技術を磨くこと。セットアップにおける自分の引き出しを、最大限増やすことです。

GP3のタイヤ特性と、F3のタイヤ特性が余りに違っていたことに対して、ドライビングに迷いが出ていたのに気がついたことが、F3に専念しようと決断した最大の要因です。

もともと、GP3は走行時間が少ないので、それをカバーするためにF3で実戦トレーニングを積ませながら、GP3を戦うつもりでした。

ですから、あえてルーキークラス。しかも同じルーキークラスのマシンの中では最も年式が古く、ダウンフォースが少ないハンディキャップ・マシンを選び、桜井孝太郎選手に与えました。

もちろん、本人にはそんなことを話してはいませんし、たぶん今だに気がついていないと思います。
(基本的にダラーラF305とか306とか308とか、外観見ても違いに気がつかないですよね)

なぜそんなことをしたのか?

年間予算が限られていたので、マシンにかける費用を、走り込みの練習費用に回したかったからです。

それに加えてもうひとつあります。

桜井選手のマシンは、チャンピオンクラスのマシンに比べれば6年落ち。ダウンフォースは20%以上少ないマシンです。エンジンもリストリクターで吸気が制限されているため、チャンピオンクラスのマシンに比べて約20馬力ほどパワーが少ないです。ようは、遅いマシンなんです。

同じルーキークラスの他のドライバーのマシンに比べても2年落ち。
実は、本人には怒られてしまいそうですが、道具で勝てる状況ではありません。
つまり、勝とうと思って走らなければ、絶対に勝てないマシンで戦っているのです。

同じコーナーリングをしようと思えば、かなり怖い思いをしても、なかなかついていけません。でも、ついていかなきゃ、という意地と攻める気持ちがドライバー自身を速くするのです。

特に高速コーナーでは、限界を越えて走るから、どうしても飛び出し、クラッシュする。ダウンフォースがライバルに比べて少ないのですから、限界ギリギリを探るしかありません。

だからチームの全員が文句もいわず、さっさと修理してまたアタックさせる(笑)。
本人は怖いでしょうけど、この状況の中では、もう、いくしかないです。

逆に低速コーナーでは、もはやチャンピオンクラスのマシンにも負けない走りができるようになりました。ブレーキングで突っ込み、マシンの向きを変え素早く立ち上がるのは、データで見ても最速です。

自分のタイムを見て、考え、悩み、マシンの挙動を事細かに思い出し、エンジニアとセッティングについて話し込む。そしてトライし、確認し、また話し込む。その繰り返しです。

そんな長い目でみたトレーニングをしている1年間なのです

コースをマシンで走る時間以外は、ジムで地道なトレーニングを繰り返し、チームでシミュレーターを繰り返し、食べたいものではなく、食べなきゃいけないものを我慢してでも食べ、そして家でオンボードの映像をふたりで見ながら、自分やライバルの走りをチェックして議論する。そんな日々を黙々と送ってきたわけです。

だからこそ、この優勝は、自分たちにとっても大きな価値ある1勝でした。

桜井孝太郎選手にとっては、4輪レースにおける初優勝でもありましたからね。

これを機に、ジャンプできるように頑張りたいと思います。