生きていると死にたくなるようなことが起きることもあると思います。

すべて破壊して、自分すら無くしたくなる、そんなときもあると思います。

いいですか。

人生に目的地はありません。

どんな苦しみさえも間違っていないのです。

そして、ある状態を目指さないで下さい。

幸せを求めないで下さい。

今まで、自分らしく明るく幸せになる方法を伝えてきました。

決して退屈な文章では無かったとおもいます。

でも、僕が目指してほしい状態とは、ブログも捨て、解放することも捨て、幸せになろうとすることすら捨ててほしいのです。

いわば、生きる屍のような存在になってほしいのです。

幸せと平安は自力から一番遠いところにあります。

実は幸せを知る前、幸せを求める前の方がいままでよりずっと幸せなのです。

私たちは幸せを求めるが故に不幸に陥っているのです。

このブログも、ある人を不幸にしてしまっているかもしれません。

誰かをさらにがんじがらめにしているかも知れません。

何かを求めるということは、それが今手元にない、と宣言しているようなものです。

求めているものだけが唯一、手に入らないのです。

このブログでは、すべてを捨てていってほしいのです。

生きる希望、幸せになりたい、何かを成し遂げたい、そんな思いをすべて捨てていってほしいのです。

何かを変えようとすることは、紛れもなくあなたを苦しめます。

でも、私たちは何かをせずにはいられません。

ここで、すべてを認めて、なおかつ自分らしくいられる方法をお伝えします。

これは、強力なので人生をいっぺんに変えてしまうかもしれません。

それとも、何も感じない人もいるかもしれません。















それは、自分を探すことです。

自分はどこにいるんだろうと内感してみるのです。

感情を感じている本体、そのものにアプローチしてしまうのです。

これは、感情を解放することを超えたもうひとつ上のアプローチです。

すべてを認識している自分を探すことによって、より高い次元の自分を垣間見ることが出来るのです。

そこには、自分という固定された存在はいません。

そこには、命の流れが渾渾と湧き出ているのです。

そこでは、後悔や絶望は単なる一つの水の表現として認識されます。

今という瞬間が固着して離れない粘着質のものではなく、勢いよく動いている今、として認識されています。

常に変わり続ける。その確信がこの世界を愛ある眼差しで見つめるのを可能にしてくれるのです。

そう、この世界はすでに固定された死んだ世界ではなく、今この瞬間も目まぐるしく動いている臨場感ある世界なのです。

すべてのものは移り変わります。

あなたの苦しみも悩みも。そして喜びも。

その瞬間瞬間をただこなしていけばいいのです。

それだけで宇宙に貢献しています。

この今をこなすことが何よりも大事です。

この今を大事にする心こそ宝です。

何かあったら自分を探してみてください。

また違った風景が広がっているはずです。

あなたは自分の判断によって捉えられるような、ちっぽけな存在ではありません。

あなたが考えるより遥かに大きい動きのなかにあなたは包み込まれているのです。

あなたは命の存在です。

あなたは無限の存在です。

あなたはいつも動いています。

あなたこそ、神なのです。

世界はあなたとともにあり、あなたとともに変化します。













世界の平和を確信して。