誰が言いだしたのか

戦後日本を語るとき、「3S政策」という言葉がよく持ち出されます。スクリーン、スポーツ、セックスという三つのSに若者を夢中にさせ、国民を骨抜きにしたという物語です。しかし、歴史研究の成果を踏まえると、これは陰謀論に近い話だと考えざるをえません。公式な政策名としての3Sは確認されておらず、後の時代の尊大な言論人が、戦後日本や若者を批判的に語るためにつくったレッテルにすぎない、という見方が有力だからです。

 

レジャーは3S中心

とはいえ、若者の関心の中に3Sが大きな位置を占めてきたこと自体は、まったくの的外れとも言い切れないように思います。映画や映像、スポーツ、恋愛や性。余暇の実態をまとめた「レジャー白書」を見ても、若い世代がお金や時間を使っている分野には、国内旅行や外食、動画鑑賞、音楽や推し活など、3Sに連なる領域がいくつも上位に並びます。(nippon.com)

 

3Sどころでない若者達 

ただ、問題はそれを「3Sにしか関心がない若者」と一括りにしてしまうところにあります。終身雇用が当たり前だった時代はとうに過ぎ、非正規雇用や低賃金が広がり、就職氷河期を経験した世代は今もなお賃金や家族形成などで不利を背負っていると指摘されています。(ouc.repo.nii.ac.jp) 大学を出る時点で、奨学金という名の事実上のローンを抱える若者も少なくありません。

このような条件のもとでは、3Sどころではない若者が増えていることも、また確かな現実だと思います。

 

最近の余暇調査を見ても、「余暇重視派」は増えている一方で、実際に旅行や外食、趣味に参加できる人は全体の一部にとどまり、多くの種目で参加人口は頭打ちか減少傾向にあるとされています。(news.mynavi.jp) 「旅行に行きたいが行けない」「お金がかかる趣味はあきらめている」といった声も各種アンケートで目立ちます。余暇のメニューは豊かになっているのに、それを自由に楽しめる人と、そうでない人とのあいだに、はっきりとした溝ができているように見えます。

 

 

3Sを楽しむ若者達

この現実を踏まえると、「3Sに夢中な若者」を「愚民」とみなす視線は、少し方向を変えて見直す必要があるのではないでしょうか。むしろ、映画を観に行き、スポーツを楽しみ、恋愛に心を砕くことができる若者は、まだどこかに時間とお金と心の余裕を持てている層だと言えるのかもしれません。レジャー白書のデータでも、国内旅行や外食、動画鑑賞などの余暇活動に継続的に参加している人は、経済的にも心理的にも、一定の安定を保っている層が多いことがうかがえます。(jili.or.jp)

 

そう考えてみると、3Sは「愚民化の証拠」というより、「余裕というぜいたく」の一つのかたちに見えてきます。3Sに没頭できる若者は、少なくともその時間だけは、働くだけで終わらない日々を持ち、自分の好きなものに心を向けることが許されています。その陰で、複数の仕事を掛け持ちし、奨学金や生活費の支払いに追われ、娯楽に集中する気力すら持てない若者もいます。

 

3Sが楽しめる豊かな社会

今の日本社会で本当に問われているのは、「3Sに夢中でいられるかどうか」という余裕の格差なのではないかと感じます。3Sという古びたレッテルを、若者を責めるための言葉としてではなく、「余裕の指標」として反転させてみる。そうすると見えてくるのは、「最近の若者は3Sばかりだ」という説教ではありません。むしろ、3Sに心ゆくまで時間を使える若者を、どれだけ増やせるかが社会の豊かさなのではないかという逆説も見えてきます。3Sこそ明日につながる若者の元気の素なのだと認められる社会こそ豊かで成熟した社会なのだと思います。