#日本学術会議会員候補の任命拒否の理由を明らかにして下さい

批判性の無い学問はあり得ず、批判力の無い学者は学者として生きてはいけない。

今回、学術会議会員の任命拒否については、その理由がはっきり述べられないので推測するしかないのだが、それが「総合的俯瞰的」な観点からの拒否でなかった事だけは、拒否された方々のダイヴァーシティを見ても明らかだろう。既に指摘されているように、旧帝大に偏っているという指摘も、男性上位である、あるいは年寄りが幅を利かせているという指摘も、今回拒否されたメンバーに、私学の教員がおり、女性や比較的若い会員候補がいた事を考えれば、支離滅裂なこじつけであるとしか言いようが無い。…

拒否された会員候補の共通項が、かつて政府の方針に反対意見を唱えた事が有るという点にある事は、おそらく間違いの無いところであろう。とすれば、拒否の理由は、政府に「批判的」であったからと結論せざるを得なくなる。…

「学問」は批判性を内包する事なくしては成り立たないものなのであり、批判的だから外すとなれば、それは「学問」そのものの否定につながる。これは「専門知へのリスペクトの欠如」という問題ともつながる。

菅前首相は「総合的俯瞰的観点から私が判断した」と言った。だが「日本学術会議法」第7条第2項には「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、その第17条には「日本学術会議は規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の内から会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とある。

推薦の基準は「優れた研究又は業績がある科学者」である事である。学術会議の会員、なかんずく分野の近い会員が、候補者の業績をよく調査し、よく理解した上で選考した結果を、その専門分野からははるかに遠い人間の判断で拒否をする。分野の近い専門家の評価よりも、その分野については素人の政治家や官僚が、その学者の業績について優れた評価をなし得るとは、百歩譲っても考えられない事であり、専門知へのリスペクトが無いという事である。

おまけに菅前首相は国会答弁において、「首相はそれぞれの候補者を知っているか」と問われ、「加藤陽子氏以外の5名は知らない」と答えた。学術会議側から「優れた研究又は業績」という基準で選ばれ、推薦されてきた候補者の研究や業績を全く読みも知りもしないで、拒否する。専門知に対する冒瀆である。…

(※以上、書籍「学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層」第10章の2「学問は批判性を欠いては成立しない」より)

※岸田首相は2021年自民党総裁選で「今の日本は民主主義の危機だ」と言っていましたが…その危機を打開する為には、「日本学術会議任命拒否問題の解決」が必要不可欠である、と私は考えます。

「学術会議不要」論等、その「あり方」を論ずる方へ…「あり方」を論ずる前に、先ず「任命拒否問題」を片付けてからにすべきではないでしょうか。

「任命するか否かは内閣の専権事項」と論ずる方へ…これは「内閣の専権事項」の一言で済ませる事が出来る様な単純な問題ではない、と私は考えます。

もし、日本学術会議任命拒否問題の事を忘れかけている方がおられる様でしたら、これを機に、どの様な問題であったのか、もう一度思い起こして頂ければ幸いです。

※添付写真…「日本学術会議任命拒否問題」関連書籍



※この投稿は2024/1/30(火)が初回…今回が2回目です。私はこれからも声を上げ続けます。