前回のエントリで電子書籍のことを日本語で使用するということで考えた。その時に色々と日本語ならではということが思い起こされた。
日本語を、特に読むという観点においては、やはり縦書きであるということが大きな特色であり、電子書籍の普及にも大きく関わる。
ある出版社の人に伺った話だが、漢字の本家とも言うべき中国ですら、最近では新しい出版物は横書きなのだそうで、メジャーな?国で縦書きを採用しているのは、今や日本くらいのものだろうとのことだ。これをガラパゴス化だと言う人もいるのかもしれないが、やはり日本独特の文化であると解釈したい。この考えが支持されるのであれば、電子書籍も縦書きに対応しない訳にはいかない。
実は、最近購入するビジネス書などにも横書きの書籍があるが、どうも本として落ち着かないというか、私は余りじっくり読めないような気がしている。参考資料とか教科書を読んでいるような感覚に近い。(横書きの書籍がそういった趣旨の本が多いだけのことかもしれないが) そのためかどうかは判らないが、横書きの本を読破できた試しがない。(それでも横書きの書籍はときどき購入する)
逆に何故、縦書きの本が落ち着く感じがするのだろうか。理由は分からないが、縦書きの本を読んでいるときの方が、自分自身はやや受け身な感覚で文章に接し、それを受け入れて取り込もうとしているように思う。そして、頭の中で読んでいる文章をもとに色々なイマジネーションが広がっていきやすいような気がするし、文章に対して集中もしやすい。
横書きの文は、文章を情報として扱っている感覚があり、細切れにとらえる感じで、やや読み手のスタンスも能動的な気もする。繰り返すが、何ら根拠はなく、同じ文章で比較したわけでもないので、単にそういった傾向の文章が縦書き、横書きのそれぞれの経験で多いだけのことかもしれない。ただ、縦書きの日本語に、ある種の美しさを感じる気がすることには賛同してくれる人も多いのではないだろうか。
もう一つ、日本語の特性として面白いのは、漢字とひらかなの効用である。文字入力を行うのに、キーボードか何かで入力をしてから漢字に変換するという作業はアルファベットを使う人たちにはない苦労である。そのせいで文字の入力に費やす労力も時間も日本語の方が余計にかかることになる。
しかし、表意文字である漢字とひらかなの併用で同じ文字数で考えた場合の日本語の情報量は英語などに比べて格段と高いはずだ。
Twitterの文字数制限は英語でも日本語でも同じ140文字だが、その文字制限の中で伝えられる情報は、どう見ても日本語の方が多い。英語でtweetしている人を何人かfollowしているが、ささやかれる内容にも違いが見られる気がする。英語のツイットはともかくシンプルで、本当に要件だけ、というのに、日本語で飛び交うツイットは、やはりブログのようなちゃんとした文章にしようとするところまでは行かないまでも、引用やRTも多く含まれ、内容が濃いように思える。日英で同等にしようと思ったら、日本語の文字数制限は半分の70くらいにすることになるのだろう。本家の英語版と違う使い方をするのはけしからんとか、変だとか言う人も出てきそうだが、これも日本語の特性を活かして日本人が日本語なりのTwitterの使い方をしているに過ぎない。それで、良いではないか。
Twitterで使う日本語に、ユーザーがどれくらい気を遣っているかは個人差もあるし不明だが、少なくとも漢字変換をするという行為で、それがない英語のツイットよりは考えている、あるいは脳を使っている、とは言えるかもしれない。
それらが何の結果を生むのか、何の効果があるのかは、知らない。ただ、日本語も、それを使う日本人も、それだけで英語圏の人たちとは違っているのだ、ということを言いたいだけである。
日本語を、特に読むという観点においては、やはり縦書きであるということが大きな特色であり、電子書籍の普及にも大きく関わる。
ある出版社の人に伺った話だが、漢字の本家とも言うべき中国ですら、最近では新しい出版物は横書きなのだそうで、メジャーな?国で縦書きを採用しているのは、今や日本くらいのものだろうとのことだ。これをガラパゴス化だと言う人もいるのかもしれないが、やはり日本独特の文化であると解釈したい。この考えが支持されるのであれば、電子書籍も縦書きに対応しない訳にはいかない。
実は、最近購入するビジネス書などにも横書きの書籍があるが、どうも本として落ち着かないというか、私は余りじっくり読めないような気がしている。参考資料とか教科書を読んでいるような感覚に近い。(横書きの書籍がそういった趣旨の本が多いだけのことかもしれないが) そのためかどうかは判らないが、横書きの本を読破できた試しがない。(それでも横書きの書籍はときどき購入する)
逆に何故、縦書きの本が落ち着く感じがするのだろうか。理由は分からないが、縦書きの本を読んでいるときの方が、自分自身はやや受け身な感覚で文章に接し、それを受け入れて取り込もうとしているように思う。そして、頭の中で読んでいる文章をもとに色々なイマジネーションが広がっていきやすいような気がするし、文章に対して集中もしやすい。
横書きの文は、文章を情報として扱っている感覚があり、細切れにとらえる感じで、やや読み手のスタンスも能動的な気もする。繰り返すが、何ら根拠はなく、同じ文章で比較したわけでもないので、単にそういった傾向の文章が縦書き、横書きのそれぞれの経験で多いだけのことかもしれない。ただ、縦書きの日本語に、ある種の美しさを感じる気がすることには賛同してくれる人も多いのではないだろうか。
もう一つ、日本語の特性として面白いのは、漢字とひらかなの効用である。文字入力を行うのに、キーボードか何かで入力をしてから漢字に変換するという作業はアルファベットを使う人たちにはない苦労である。そのせいで文字の入力に費やす労力も時間も日本語の方が余計にかかることになる。
しかし、表意文字である漢字とひらかなの併用で同じ文字数で考えた場合の日本語の情報量は英語などに比べて格段と高いはずだ。
Twitterの文字数制限は英語でも日本語でも同じ140文字だが、その文字制限の中で伝えられる情報は、どう見ても日本語の方が多い。英語でtweetしている人を何人かfollowしているが、ささやかれる内容にも違いが見られる気がする。英語のツイットはともかくシンプルで、本当に要件だけ、というのに、日本語で飛び交うツイットは、やはりブログのようなちゃんとした文章にしようとするところまでは行かないまでも、引用やRTも多く含まれ、内容が濃いように思える。日英で同等にしようと思ったら、日本語の文字数制限は半分の70くらいにすることになるのだろう。本家の英語版と違う使い方をするのはけしからんとか、変だとか言う人も出てきそうだが、これも日本語の特性を活かして日本人が日本語なりのTwitterの使い方をしているに過ぎない。それで、良いではないか。
Twitterで使う日本語に、ユーザーがどれくらい気を遣っているかは個人差もあるし不明だが、少なくとも漢字変換をするという行為で、それがない英語のツイットよりは考えている、あるいは脳を使っている、とは言えるかもしれない。
それらが何の結果を生むのか、何の効果があるのかは、知らない。ただ、日本語も、それを使う日本人も、それだけで英語圏の人たちとは違っているのだ、ということを言いたいだけである。