単純な脳、複雑な「私」を読み終えた。
先週の私の予想?に反して、(内田先生の予想?どおりに、)池谷裕二氏の本を続けて読み切った。
最終の第4章を残していたが、この章の冒頭に「複雑系」というひと言が目に飛び込んできた。この言葉には反応してしまう。そして、私の予想通り、最終章で脳の単純な構造と、人間だけが感じ、意識し、認識できる複雑な「私」のことが語られている。ただ、私に付いた「」の意味は明らかにはなっていないのだが。
そして、浦沢直樹X 手塚治虫の「プルートゥ」第8巻を一気に読む。
この作品には、常に不思議な感覚がつきまとう。極端に進化したロボットと人間が共存する時代。描かれている最高峰のロボットは固有の“人格”を持っていて、大量生産はされていないなど、どうして?って思う側面はあるが、その設定を飲み込んだ上で読むのがお作法だろうし、それは特段努力しなくてはならないようなものではない。
第6巻くらいからは涙なくしては読めない。心をもったロボット、アトム。世界最高の知識も計算能力も備えた人工頭脳でもあるアトムが、それとはアンバランスとも思える純粋無垢な風貌はともかく、あのようにピュアに見える心を持てるのだろうか。しかも、他の多くのロボットの悲しみや怒り、そして憎しみを取り込みながら平衡と安定を取り戻した彼の心は、平和で美しい心ではあるが、もはや純粋な心とは言い難いように思う。(誰もそうだとは言っていないが)
さらに続いて、話題の書、村上春樹氏の「1Q84」を読み始めた。
私はそれなりにひねくれているので、ベストセラー作品が売れまくっている最中に購読することはまずないのだが、村上春樹で、タイトルが「1Q84」と何となく1984年を想像させるものだとくれば、読まないわけにはいかない。
まだ読み始めたばかりだが、すでにその世界観に引き込まれつつある。優れた作品であることは十分に予感させてくれる。
文章に書けばこれだけのことだが、仕事でも毎日色々なことが起きているなか、これだけのことをする「私」は、やはり複雑である。
先週の私の予想?に反して、(内田先生の予想?どおりに、)池谷裕二氏の本を続けて読み切った。
最終の第4章を残していたが、この章の冒頭に「複雑系」というひと言が目に飛び込んできた。この言葉には反応してしまう。そして、私の予想通り、最終章で脳の単純な構造と、人間だけが感じ、意識し、認識できる複雑な「私」のことが語られている。ただ、私に付いた「」の意味は明らかにはなっていないのだが。
そして、浦沢直樹X 手塚治虫の「プルートゥ」第8巻を一気に読む。
この作品には、常に不思議な感覚がつきまとう。極端に進化したロボットと人間が共存する時代。描かれている最高峰のロボットは固有の“人格”を持っていて、大量生産はされていないなど、どうして?って思う側面はあるが、その設定を飲み込んだ上で読むのがお作法だろうし、それは特段努力しなくてはならないようなものではない。
第6巻くらいからは涙なくしては読めない。心をもったロボット、アトム。世界最高の知識も計算能力も備えた人工頭脳でもあるアトムが、それとはアンバランスとも思える純粋無垢な風貌はともかく、あのようにピュアに見える心を持てるのだろうか。しかも、他の多くのロボットの悲しみや怒り、そして憎しみを取り込みながら平衡と安定を取り戻した彼の心は、平和で美しい心ではあるが、もはや純粋な心とは言い難いように思う。(誰もそうだとは言っていないが)
さらに続いて、話題の書、村上春樹氏の「1Q84」を読み始めた。
私はそれなりにひねくれているので、ベストセラー作品が売れまくっている最中に購読することはまずないのだが、村上春樹で、タイトルが「1Q84」と何となく1984年を想像させるものだとくれば、読まないわけにはいかない。
まだ読み始めたばかりだが、すでにその世界観に引き込まれつつある。優れた作品であることは十分に予感させてくれる。
文章に書けばこれだけのことだが、仕事でも毎日色々なことが起きているなか、これだけのことをする「私」は、やはり複雑である。