福岡伸一著「動的平衡」を読了。

何週間か前にようやく「生物と無生物のあいだ」を読み終えたばかりなのに、立て続けて福岡伸一氏の新作を読んだことになる。実は、読みかけだった「生物と、、」を読み終えたのは、その時既に「動的平衡」を購入済みで、こちらを早く読みたいと思ったのが理由だった。

2つの著作を比較しても余り意味がないのかもしれないが、読み物としては恐らく「生物と、、」の方が、物語的であり、サスペンス要素もありで、よりエキサイティングだと思う。その一方で「動的平衡」に書かれている内容は、より根幹的、本質的な部分にも踏み込んでいて、刺激的だと感じる。

私たちの生命は、受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは時間軸に沿って流れる、後戻りのできない一方向のプロセスである。
さまざまな分子、すなわち生命現象を司るミクロなパーツは。ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは新たに作り出されたパーツと、それまでに作り出されていたパーツとの間に相互作用が生まれる。
その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げて行く。(中略)生命とは機械ではない。そこには、機械とはまったく違うダイナミズムがある。生命の持つ柔らかさ、可変性、そして全体としてのバランスを保つ機能—それを、私は「動的な平衡状態」と呼びたいのである。


生命とは何か?
この永遠の問いに対して、過去さまざまな回答が試みられてきた。DNAの世紀だった二十世紀的な見方を採用すれば、「生命とは自己複製可能なシステムである」との答えが得られる。(中略)しかし、この定義には、生命が持つもう一つの極めて重要な特性がうまく反映されていない。それは、生命が「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」という古くて新しい視点である。


生命を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、行進され続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時。淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれてゆく。


生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物が必ず死ぬというのは、実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、秩序は別の個体に移行し、リセットされる。
したがって、「生きている」とは「動的な平衡」によって、「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけているということである。換言すれば、時間の流れにいたずらに抗するのではなく、それを受け入れながら、共存する方法を採用している。


福岡先生の著作を読んでいると、生命というのも自体が何か奇跡的なもののように思えてくるし、ましてやその中でこうやって色々なことを考え、日々の営みを行っている私たちは実に奇跡の中の奇跡なのだと感じて、生きていると言うことに、なにかこう“感謝”のような気持ちさえ芽生えてくる。

少し大げさかもしれないが。