村上春樹さんが素晴らしいスピーチをされた。

今、このタイミングで、あのイスラエルで、「エルサレム賞」という文学賞を受賞したその授賞式に出席し、英語でかなり長い受賞スピーチを堂々とされたようだ。「堂々と」と書いたが、スピーチの様子はごく一部をニュースの映像で見ただけなので、正確ではないかもしれないが、その全文をサイト で読む限り、日本人でここまでの英語のスピーチをされるのは、実に素晴らしいことだと思う。

このサイトのことを教えてくれた知人は、非常に鋭い知見の持ち主で、いつも私は敬愛して止まないのだが、この村上スピーチをオバマ氏の就任演説にも劣らないと絶賛している。ついでに、村上氏のあの会話力で、スピーチをやりきってしまうところも大絶賛であった。非常に同感である。

スピーチの内容はオバマ氏のそれとは異なり、非常にシンプルで、それでいて非常に奥深い。最近の私のお気に入りである内田樹先生も彼のブログで「卵と壁」と題して最近2回のエントリがある。その2回目のエントリ で村上スピーチの中心メッセージを翻訳しながら彼なりの解釈を加えている。

村上氏は「卵と壁」のメタファで、「卵」は、壊れやすく、一つ一つが置き換えの聞かない命、魂を持った我々人間であり、「壁」は単純に言えば戦車やミサイルのような絶対的な力であり、より深い意味では大きくて冷たい「システム」だと言っている。

内田先生は、村上氏が彼の父親のエピソードをあえて加えていることを理由に、この「システム」が表しているものは、国家権力や暴力装置やあるいは資本主義といった実体のことだけではなく、「記号」と言い換えても良いと主張されている。

この内田先生の理解のことを私ごときがとやかく言うことも無いし、村上春樹の奥深くにそのような考えがあるかもしれないことは、否定しないが、今回のスピーチでは、ちょっと深読み過ぎるし、この深読み自体、イスラエルにわざわざ出向いて行っているスピーチに対してはあまりふさわしくない気さえする。

ここで言う「システム」とは、人がつくりだした「仕組み」を差している。

村上氏が言っているように、その仕組みは人を守るために作られた。例えば国という仕組みがそうだ。ユダヤ人の国を作りたいと考えてイスラエルが作られた。ところが、イスラエルという国がある種の意志を持ち始め、存在すること自体が目的化してしまうと、その存在を危うくするものを排除し始める。イスラエルの人々の多くが望んでいなくても、イスラエルという仕組みとその仕組みの中枢にいる一部の人たちが、人を殺し、人をして人を殺させてしまう。

人が作った仕組みや組織にはそういう特性がある。

村上氏は父親のエピソードで、戦争というシステムが引き起こす最悪の事象が、そこに居合わせた個々の人間に「死」の陰を負わせ、その陰は父親の死の後も村上氏自身にまで少なからず受け継がれていることを言っているのだと、私は凡人らしく解釈するのである。

人が人の為につくったシステムが、人を殺したり、苦しめたりする。それを止めるのは、やはり人でしかなく、システムという巨大な壁に真っ向から向かって行くのではなく、人や魂のことをしっかりと意識して行くことでしかできないのだ、と言っているのだ。

そこに小説家が「ウソ」を書く意味があり、村上春樹が常に「卵」の立場に立つ理由がある。