このところやたらと忙しい。

こういうときは、会議がたくさん予定されていたり、来客があったりすると、どうしてもちょっと閉口してしまいがちなのだが、会議であれ、単なる会話であれ、直接人と会って話すことは、やはりとても意義がある。

昨日もスタッフと話しているうちに、それまで考えてもみなかったようなアイデアが生まれた、ということがあった。

いつだったか、特許に関する打合せがあったことを思い出した。特許の話を弁理士事務所とするとなると、下手をすると退屈で眠くなりそうな、というか、読んでいたらまず間違いなく眠くなる特許の文書を使いながら、単純な説明を聞くということになりかねない。ところがその時はそうではなく、弁理士さんも乗り気で次々と議論が議論を呼び、色々な議論がかぶせるような進行になり、それまで思いつきもしなかったようなアイデアが自然にわいてきた。

まさに、話すことの効用だろう。

人と話したり議論を交わすことで、単に文章を読んでいるよりも、明らかに脳が複雑に刺激され、複雑に反応をすることで、新たなアイデアが生まれてくる。

案件を整理しようとするときも、パソコンや紙にむかって書き込みながら整理することも、当然大切であり、特に情報を共有するという意味においては、絶対に必要な行為であるのだが、人と話すことで、人と話をしようとすることで、それまでごちょごちょしていた頭の中が整理され、すっきりする。

これは、脳が刺激を受けて、それに反応してより効率よく働くということを示しているということだろうと思うが、もう一つ大切なのは、やはり同じ時間と空間を共有しているということが大きいのではないかと思う。

フェイス・トゥ・フェイスで議論している時、恐らくその時間、その場所にいるということが、同じフィールド、あるいは非常に近いフィールドの中にお互いがいるということで、人と人との共鳴が起き易くなっているのだ。

「共鳴」という言葉をいみじくも使ったが、刺激が反応を誘発するという一連の現象は、逆に言えば、共鳴しやすい相手とそうでない相手があるということでもある。

以前のブログエントリで、内田樹さんの文章に刺激されて色々と考えてしまう、ということを書いたが、これは私を含め多くのひとが内田さんの文章に対して共鳴しやすいということだ。

会話や会議も同じで、相手や構成メンバーによっては会話がその何倍もの効果で相互に刺激を生み新たな何かを生み出す。この時は共鳴がうまく作用していて、これは非常に心地よい時間となる。

攻殻機動隊のように、遠くの仲間と直接、脳と脳で通信できてしまうような、そんな世の中になったとしても、それでも人と人が面と向かって話すことは無くならないし、その効用は益々際だってくる、はずだ。

それは、やはり、近くにいて同じフィールドで共鳴しやすいということが、単なる言葉のやり取りのコミュニケーションと異なる意義がある、ということ。

って、そう思う。