昨年2月19日朝
息子の篤が旅立ちました。

早朝5時前に病院からの電話で
荻窪の病院までタクシーに
飛び乗り向かいました。
新宿付近に着いた頃
再び病院から電話が入り
「まだ着きませんか?」
電話口の主人は
「もう、良いですから」
と一言。

6時過ぎに到着した時点で
医師より臨終の宣告がありましたが
実際には新宿付近にいた時間が
臨終だったのでしょうか?

病室で会った息子は
穏やかな表情でぬくもりが。
看護師さんにはあえて
聞きませんでしたが
多分眠るように逝ったのだと
思っています。

長く、辛い闘病生活
やっと楽になったのでしょう。

最後に看取れなかった事に
悔いが残りますが
息子は最期の姿を親に
見せたく無かったのだろうと
思うことにしています。

緊急手術から丸一年と10日
一言も発せず、
指一本動かせなかった息子
水1滴さえ口からは
飲めなかった息子。
それでも私達の為に
頑張って生きてくれました。

2月18日の夜は私自身
覚悟していたのか
病院帰りに白いシーツと
枕カバーを購入しました。
病院からの電話の後
リビングに布団を敷いて
息子を迎える準備をして
出掛けました。

悲しいけれど
覚悟はできていました。
お陰様で息子の死にも
取り乱すことなく
向かい会えた気がします。 

2年前の大学病院での入院手術
その後の対応については
思うところが多過ぎるほど
あります。
医療過誤?ミス?
一時期本気で医療裁判をと
相談したこともありましたが
主人の
「何をしても篤は帰らないし
病院は精一杯やってくれた」
の言葉で納得しました。

もしももう一日早く病院に
連れて行っていれば
あの病院でなかったら?

「それも篤の運命だったんだ」

どうして主人はそんなに
簡単に割り切れるの?
でも、主人はそう言って
自分を納得させたのでしょう。
今になって、
それがわかる気がします。

今日は毎月の19日と同じく
二人でお墓参りに行ってきます。
帰りには息子が好きだった
回転寿司ランチにしましょう。
サーモンが好きだったね。
私は苦手なので
同じく大好物の主人に 
食べてもらいましょうね。

首を動かす事ができるようになり
文字盤を使ったり
パソコンを使って会話を
試みたりもしました。
眼振が酷く
なかなか難しかったのですが
文字盤での
「一番食べたいものは?」
の私の問に
「すて...」
「ステーキね?」
と聞くと大きく頷きました。
「デザートは?」には
「ケーキ」
一番の好物はやっぱり
ステーキだったのね。

今夜は仏前にステーキを
お供えしましょう。
デザートはもちろんケーキね。


篤が逝くときに一緒に
居られなかったので
今夜はずっと一緒に
過ごしましょう。
主人も同じ気持ちなのか
今珍しく下に降りてきました。

息子を亡くした哀しみは
同じですが、
それぞれの思いで
息子を忍びましょう。

いつの日になるかは
わかりませんが
息子の元に行く日まで
夫婦仲良く手を取り合って
過ごして行きたいと
思っていますし
篤もそれを願っていると
思います。