幕末の動乱期、東本願寺は徳川幕府に近い立場にあったため、将軍はじめ幕府の要人も多数訪れています

印月池

中でも慶喜は「渉成園」と揮毫した額を残しています
尾張藩・徳川慶勝や福井藩主・松平春嶽も渉成園に遊んだことが記録に残されています
明治維新後は、清、イタリア、ロシアの各国の領事も渉成園を訪ねています
岩倉具視や三条実美といった華族のみならず、明治天皇、ロシアのニコライ皇太子といった貴顕もひとときを過ごし茶菓のもてなしを受けています
昭和に入っても、吉田茂首相やヘレン・ケラー等の著名人の来訪が相次ぎました
十三景の二「傍花閣」:楼門作りで左右側面に山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には四畳半の部屋を設けています

部屋の天井中央には磁石板に十二支を配した珍しい図様が描かれています

和漢の香り豊かな「市中の隠」である渉成園は、いつの時代も多くの人々に愛されてきました
水辺では野鳥が餌を啄んでいました

名勝「渉成園」より
山脈が幾重にも重なる三田の山々
どれが虚空蔵山?八王子山?山上山?

立杭陶の里、大アベマキも見てみたいが…

桜は咲いているだろうか?


虚空蔵山登山道


渉成園の地割は、お内仏の「園林堂」とその山門にあたる「傍花閣」を結ぶ中軸線を基準に全体的な作庭がなされています
これは、真宗の教えに基づいて、お内仏すなわちご本尊(南無阿弥陀仏)を中心とした真宗門徒の生活規範が反映されています
この地は、平安時代・9世紀末の左大臣源融が営んだ六条河原院の旧蹟という伝承があったことから、庭園の随所に「塩釜の手水鉢」や「源融ゆかりの供養塔」など、その伝承に基づいた景物が趣向として配されています
渉成園は創立以来、幾度かの火災に遭い、現在の建物は、1864年の変による炎上以後に再建されたものである
約1万6百坪の敷地を有し、大小二つの池と数棟の茶室に加え、園林堂(持仏堂)と書院群で構成されています
園内は東側の庭園部、西側の書院群で大別され、庭園部の南側には広大な印月池が広がっています

かっては東側を流れる高瀬川から園の北東部に水路が引かれ、印月池と北側の小池に水が入れられていましたが、現在は琵琶湖疏水から分流させた「本願寺水道」の水を北側の小池に導入し、鑓水を通って印月池に、また井戸水を印月池北東部から取り入れている
1827年、渉成園を訪れた頼山陽は、「渉成園記」の中で園内の主な建物・景物を「十三景」として紹介し、その風雅を讃えています
十三景の六「侵雪橋」、頼山陽は、雪の積もった橋の有様を玉龍にたとえて表現しています
十三景の十二「回棹廊」焼失以前は朱塗りの欄干を持つ反橋だったらしい。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かっては夜半の来客の折、金燈篭を吊って火を灯しました
イブキ枯木
ヒノキ科

名勝「渉成園」参考