言葉は生きる支えになる

「つう」は、世界から拒否され姿を消す。受け入れられなければ潔く立ち去る生き方を日本では美化しがちだが、そこに自死した畏友・加藤和彦や、マイケル・ジャクソン、藤恵子に連なる象徴的な多くの悲劇を重ね合わせる


「人間は誰でも学校や会社には行きたくない。常に逃げ出したい、死にたいと思っている。そうした思いを抑圧して、なんとか生きている。それがうまく処理できないとき悲劇が起きる」と語る


本音を言葉で吐き出せる場所や、そのための人との関係を作り出せば、もう少し楽に生きられるはず。かっては、裏町とか裏通りといった存在が、本音を受け止める場所として機能していたが、社会のさまざまな場面で裏が整理され、すべてが表になってしまった。“うら”とは本来、古語で“心”を意味します。裏の喪失が、現代人を苦しめているのです


舞台と楽屋、仕事と遊び。自分が生きる2つの世界にけじめをつけてきたが、大学退職後は、学術講演とコンサートが合体したイベントなどに積極的に出演するようになった。タブーだったテレビへの出演も幾つか解禁した。現在は白鷗大学で教え、副学長も務める


「年を取ったから、人前に出ても昔ほど大きな影響は出なくなったかな。人生の晩年、もう少し精神分析という仕事を知ってもらう必要を感じています」


「言葉は生きる支えになる」「日本人はどこか言葉で自分の心が切り刻まれるのを恐れている。でも心ってまだまだ言葉になることを待っていると思う。『愛してる』だって口に出せない人が多いでしょう」


これから北山修は心の在りかをどんな言葉で伝え、どんな歌を紡いでいくのだろう

(朝日新聞・逆風満帆より)


6月15日、ブリーゼで北山修コンサートがある

出来たら行きたいと思っている音譜