現代人を苦しめる「裏の喪失」

91年、北山修は精神分析の拠点として伝統のある九州大学から声がかかった。2010年までの約20年間大学教員・北山修として多くの学生を指導した


複雑な気持ちで飛び出した故郷・京都には戻れない。競争の激しい東京では生き残れないだろう、と感じていた北山はありがたくこの誘いを受けた


北山は30歳までに2度、眼の手術を受け、長時間本を読めることになったことで研究に弾みがついた

九大時代には浮世絵の研究をはじめ、英国精神分析家ウィニコットの翻訳や研究所、神話や文化人類学に影響を受けた独自の著作、論文を発表した


代表作な研究の一つに「見るなの禁止」をめぐる考察がある。夕鶴のように、世界の神話や伝承には、「見てはいけない」タブーを破ったため、現世から立ち去らなくてはならなくなるタイプの物語が数多くある


医者であり作詞家の自分は、鶴であり人間である「夕鶴」の「つう」なのだと、北山は言う


人はみなこうした二項対立を抱え生きている

意識と無意識、言語と非言語、本音と建前、表と裏、舞台と楽屋…。

自身の体験も踏まえ、両者の折り合いをどうつけるのかというテーマを一貫して追求してきた


「この二つは決して混じり合わない。たがいに橋が架かるだけ。精神分析家は、そこに橋渡しをする役割なのです」

(朝日新聞・逆風満帆より)