9:49分、虚空蔵堂に到着

寺伝によれば聖徳太子が鏑射寺(太子がお母様の菩提を弔うために建てたとされる・現在の住職中村公隆師が戦後廃寺となっていた伽藍を再建した)を建てられた時、夢のお告げにより西北の聖峰・岩辻山の山腹にもう一宇建立され、虚空蔵菩薩尊像を安置されたことに始まる

創建時は七堂伽藍があったとされ、天正3年には摂津・丹波・播磨の城主らが寺例の再建勧進に応じ荒廃した諸堂を旧態に復元したが
天正7年、丹波の波多野氏攻略に兵を勧めた明智光秀の軍勢により焼亡した
慶長8年、村人の協力により本堂、鐘楼、仁王門などが再び建立されたが、近世以降に寺領の没収や廃仏毀釈などで次第に衰微し、虚空蔵堂のみとなった
近年多額の浄財を得て本堂の大改築が行われ現況となっている
本堂前の鯱瓦は慶長8年の復興時に用いられたと考えられ、国宝・彦根城天守閣にも同形のものがある
登山道はお堂右側にあります
本尊の虚空蔵菩薩は、右手に知恵を表す宝剣を持ち、左手は胸の前で福徳の宝珠を持っていたと思われる
4月と9月には十三詣でと呼ばれる例祭が行われる
かっては女の子が十三歳になると、知恵と福徳を授かるために参詣していた
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