大船や波あたたかく鷗浮く…子規

愚かなる戦ありけり青嵐…櫂

昭和20年3月29日、沖縄参戦のため呉を出港、4月7日九州南西の東シナ海でアメリカ海軍の空母機に撃たれ、海底に沈んだ

乗員3332人のうち生存者は276人、3056人が命運を共にした

この世に人として生まれ、人生の喜びも知らぬまま、文句も一つ言わず戦争に殉じた若者たちの死を無駄にしてはいけない

大和は昭和15年8月8日進水式を行っている

昭和16年11月1日、初代艦長に高栁儀八大佐就任。昭和17年5月29日、ミッドウェイ作戦のため柱島泊地出撃。6月5日、ミッドウェイ海戦において、空母機動部隊敗北のため作戦中止

昭和17年8月17日、ガダルカナル島反撃の「カ号」作戦支援のため柱島泊地出撃

昭和17年12月17日、第二代艦長・松田千秋大佐就任。

昭和18年9月7日、三代艦長・大野竹二大佐就任

12月12日、トラックに向け横須賀発

昭和19年1月25日、四代艦長・森下信衛大佐着任

4月21日、マニラ・リンガに向け出撃

6月19日~20日、マリアナ沖海戦に参加

10月22日、レイテに向けブルネイ発

昭和19年24日~26日、レイテ沖海戦に参加

11月25日、第五代艦長・有賀幸作大佐着任

第二艦隊司令長官に伊藤整一中将着任

昭和20年3月25日、乗組員が交代で最後の上陸許可を受ける。3月28日、呉を出港

4月5日、沖縄海上特攻下令。三田尻沖を発し、徳山沖着

4月6日、徳山沖の泊地を沖縄に向け出撃

4月7日、大和以下の第二艦隊、九州南西沖海上において、アメリカ海軍空母機多数の攻撃を受け沈没

大和関連のブログ記事は、山彦耀「臼淵磐大尉」・「戦艦大和の生き残り兵」で見ることが出来ます

是非、ご覧ください!!